見直しごとに改悪進む
軽要介護者の経費を削減
1対1で向き合う
居宅ヘルパー(非正規)として15年目を迎えた。居宅介護の視点からの現場を報告したい。 2000年に介護保険制度を導入するにあたって国は、世帯の高齢化、核家族化、少子化などで家族の負担も多くなり、離職しなければならない家族が増加している、と指摘していた。
一方で、介護労働者も資格保有者が増員されてきて、8万円から10万円程度で資格を取るようになり、一時的には居宅ヘルパーも増員傾向になった。しかし、男子は長続きせずに離職し高収入の仕事に転職していった。
居宅サービスの計画内容は、家事支援プラス身体介護となっている。一言でいえば家庭作業の延長のように捉えられている。だが、居宅サービスは「1対1」で向き合う仕事である。
性格も好みも生活習慣、経済状況も十人十色なのだ。その一人一人に合わせたサービスをおこなわなければならない。「掃除+ 入浴」「掃除+買い物+入浴」「家事全般+身体介護」「身体介助(重度)」などがある
。これらも当初に比べれば、時短、内容も細分化されてきている。その上、利用者に満足されなければ即訪問が打ち切りとなる。
パート労働で1日に7件から8件の仕事を持っているヘルパーは、長時間労働となっている。というのは移動時間は労働時間とみなされないからだ。
精神的にも疲れる
ヘルパーが対応する利用者は、肉体的、精神的に疾患を持っている方で、「1対1」の対応となる。だから、肉体的な疲れもさることながら精神的にも持ちこたえられずに、ヘルパー自身もうつ病にかかる人が少なくない。そのことが離職へとつながっていく。
居宅ヘルパーの大きな仕事は、平素一人で生活している利用者の「命と健康を永らえさせる」ことが一番である。私は常にそう思って仕事をしてきた。「介護の現場から社会が見える」というのが、私の持論だ。
最近、新聞の、テレビの報道で2025年には4人に1人が高齢化する社会となり、介護制度の必要性がさらに高まっている。国が導入時に保障した「家族にも、利用者にも負担がかからないように、安全で安心な介護保険制度」が足もとから崩れていっている。
国から今回出された「総合事業(介護予防、日常生活支援総合事業)」なるものは、制度導入以前に逆戻りしている。「介護の社会化」どころか、現実は孤独死、老老介護で心中、殺人、自殺というような悲しい報道が後を絶たない。
また、介護者を抱える家族の経済的、肉体的、精神的負担で離婚、離職なども増え続けている。ある新聞を見ると、「介護難民」と大きな見出しをつけているが、3年ごとの見直しが回を重ねるごとに改悪に向かっていることを指摘はしていない。
増加する自己負担
来年度からは、@要支援1、2は市町村事業に移行、A要介護3以上でないと特別養護老人施設に入れない、B年収160万円から280万円の人は2割負担、Cそれ以上の人は、介護保険施設、ショートステイの部屋代、食事代、用具代などは自己負担。
このように軽度の介護者に必要な経費をこと細かに削減する政策が出されてきている。
国の財政困難→自治体に丸投げ→利用者の自己負担→地域ボランティアを育成して無償でサポートさせる、という流れがつくられてきている。これを全国で要請し、すでに各地方でもその準備が整えられてきている。地域包括支援センターもこれとかかわっている。
さらに、家事支援業を主とした専門業者も増えてきている。これはヘルパーの賃金評価、労働評価が少ないためだ。
国が向かおうとしている方向は、無資格者、安物サービス、自助・互助サービスに置き換えることだ。その上、要介護の区分までも切り崩して、軽要介護者も含めてふるいにかけようとしている。
介護分野だけでなく、安倍政権が国民に向けて発信していることは、ほとんどがだましであり、この先、私たちも被介護者と同じ目にあうことになるので黙っていることはできない。(山村咲子)
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