|
|
|
2011年6月21日 |
|
|
|
|
|
南相馬の避難者 南会津で講演会 |
|
|
杓子定規な政府の対応
|
|
|
|
|
|
東日本大震災から3カ月が経った6月12日、福島県南会津町に避難している福島県南相馬市民と桜井勝延南相馬市長との懇親と原発問題講演会が南会津町御蔵入交流館で開かれ、各地の避難所から約350人が集まった。
東京電力福島第1原発の北10?40キロに位置する南相馬市は今も多くの住民が市外に避難している。東電と国への怒りの声とあわせ、市長に対し、本当に帰っても安全なのかなどの質問と意見が集中した。
原発事故から3カ月 桜井市長が憤る
 |
桜井勝延南相馬市長 |
桜井市長は次のように報告した。「原発事故直後、南相馬市役所は大混乱におちいった。政府が原発の10キロ圏外には原子力防災計画をつくってはいけないとしてきたからだ。市には何のマニュアルもない。通信手段を奪われ、国も県も一切指示なし。多くの方が自力で避難し、市が用意した避難所も近くを閉鎖し遠ざけ、政府が当初『屋内退避』としていた地域からも私の独断で避難させた。
15日になってNHKで窮状を訴えると新潟県知事から受け入れの申し出がきて助かった。国が連絡してきたのは3月17日、東電は3月22日になってからだ」。桜井市長は、政府と東電の対応への怒りを静かな口調で語った。
そして「人の心を傷つけて」被害者に寄り添おうとしない東電の姿勢、現地のこまかな事情を考えないで、杓子定規な対応しかしない政府の姿勢のなかで、深夜も「どうしたらいいのか」と来所する市民があとを絶たず、苦渋を訴えた。
最後に、桜井市長は「皆さんの意見を国に訴えていきたい」「南相馬市は必ず再生させる」と述べた。
懇談会では参加者から多数の質問や要望が寄せられた。「線量計を配ってほしい」「被爆者手帳を発行してほしい」「残した家の修理代を東電に請求したい」など切実な問題とあわせ、最大の心配事は「事故はどうなるのか、いつ帰れるのか」ということだ。仕事もあり一刻も早く帰りたいという人、放射線量も高いスポットがあるし事故が収束せぬうちは帰れないという人、もう帰らないという人など、桜井市長にときには厳しい声が寄せられた。
続いて国学院大学教授・市民エネルギー研究所の菅井益郎さんが「ふるさと復興―生きる望み・若者に希望を」と題して講演。「原発はトイレのないマンション」とし、原発の危険性をわかりやすく伝えた。また賠償問題について足尾や水俣の例をひき、切り捨てを図る東電にしっかりと要求するよう助言した。
大宅宗吉南会津町長の挨拶の他、ピアノ・ホルンのコンサートがあり、避難者の心を和ませた。会の発起人である国分富夫さんは原発15キロの旧小高区に家があり、今は一家で南会津に避難している。
「一時仮払金100万円というのは人を馬鹿にしたような金額だ」「市長は避難区域外の住民はもう帰っても大丈夫というが、本当に安全なのかはわからない」「原発反対運動をしていかなければと思い、仲間や町と相談して今日の会を開くことができた。本当に皆協力的だったのでとても感謝している」「今後は要求項目をつくって継続して皆で声をあげていく」と力強く決意を述べた。(詳細次号)
|
|
|
|
|
|