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 新社会党
2011年8月9日

  原水禁フクシマ
     原発はいらない  子どもを守りたい  


 毎年広島、長崎で開催されてきた原水爆禁止世界大会66周年の今年は、東電福島第一原発事故による放射能汚染に苦しむ福島で初の大会が開かれた。

 7月31日、福島市内で行われた世界大会では地元の石丸小四郎さんが報告し、作家の鎌田慧さんが講演した。大会に先立って「街なか広場」で県平和フォーラム主催の「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」が開かれて1700人が参加、「ノーモア・フクシマを胸に刻み、世界の先駆けとなる福島をつくります」とのアピールを採択した。

 集会後、「子どもたちを放射能から守れ」などと訴えて市内をデモ行進した。この集会に東北や関東各県から新社会党員らがノボリを立てて参加した。


 「脱原発」を鮮明にした福島大会は、被爆国日本の戦後に根を下ろした「原子力の平和利用」と共存してきた核廃絶運動にとって転換点となった。

 今も、故郷にいつもどれるのか、子どもたちは安全なのか、農産物・水産物・工業製品は売れるのか、補償はされるのかと不安が続く福島。県内の避難児童は延9000人、失業者4万6000人。しかも、原発事故は収束しておらず「地獄の蓋は開いたまま」(集会アピール)だ。

 集会は、事故の原因と責任は問題の指摘を無視してきた国と東電にあると糾弾した。長崎の被爆者で原水禁国民会議の川野浩二議長(71歳)は、「私たちの運動は反原発の取組みが弱かった。被爆者は65年たった今も癌で苦しんでいる。闘いは半永久的に続く。核と人類は共存できない。全ての原発を廃止へ、エネルギー政策を根本から変えよう」と挨拶した。

 被災者3人が現状を報告した。計画的避難区域の飯舘村で「負げねど飯舘」をつくり、東電への要請や住民の健康管理の活動をする佐藤健太さん(29歳) は、「たくさんの悪意と善意に触れて整理できない辛さがある。安心してしがみつける太いロープが届いていない。放射能という津波から逃れることはできない。この事実から目をそらしたくなっている。それでもやるべきことはリスクを減らし、希望の種をまくこと」と語った。

 そして、「専門家は何人が白血病になるという確率を言うが、一人もあってはならない。大人が命がけで子どもに負の遺産を残さないこと。このまま国の助けを待っていたら溺れてしまう、個人や地方が小船を出すこと。力を貸してください」と訴えた。

 双葉郡の小学校教諭の吉田博正さん(45歳)は3月12日のその日、防護服の3人に「すぐに避難を」と言われて、自分にできることは「逃げること、情報を収集すること、待つこと」の3つだったと振り返った。そして、「がんばれというがどうがんばれば原発が収束するのか。奪われた生活が戻ってくるのか」と問いかけ、「教員も精神的肉体的、金銭的に追い詰められているが十分な支援がない」。何よりも子どもたちが七夕に書いた願いは「早く家に帰りたい」だった。

 「私は反原発・反プルサーマルの運動に参加してきた。国と県の責任は重大。被災者は私たちで最後にしよう。今こそ脱原発です」と呼びかけた。

 事故原発から50キロ離れた郡山市に住み、2人の娘をもつ松本徳子さん(49歳)は事故によって福島に原発が10基あることを初めて知った。それまで「原発はクリーン、安全」と言われてそう思っていた。

 「でもそれは間違いでした。私たちはメルトダウンを知らされないで放射能の中を水や食べ物を探して歩きました。中1の子どもが鼻血を出し、東京の妹のところへ送りました。それもできずに悩んでいるお母さんがたくさんいます。牛の汚染はワラだけですか、牛だけが汚染されたのですか。子どもを守りたい、娘のために何かをしてやりたい、ただそれだけです。どうか皆さんも原発はいらないと声をあげてください。子どもたちを守ってください」と語りかけた。

 県平和フォーラムは脱原発全国署名と並行して、「福島県民の命を守りふるさとを取り戻すための署名」に取り組む。原水禁の藤本泰成事務局長は、「英知を結集しても制御できない原子力と決別しなければならない。国は復興がままならないことを自治体の責任に押し付けてはならない。政府・東電は未だに多くの情報を隠している。生活をどうするか、選択するのはわれわれの権利だ。我慢と自己犠牲を強いる社会に終わりを告げよう、1000万人アクションを成功させよう」と決意を述べた。





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