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 新社会党
2011年12月6日

  岩手三陸の被災地を訪ねて
    再生へ懸命の努力  がまんにも限界が


 3月11日の地震発生を伝える衝撃的な映像に触れ、その後、可能ならば現地へ行き、その実態を直に確かめたいという気持ちが募ってきました。単独で実行するのにはいささか困難を感じていた折、志を同じくする方々との御縁に恵まれました。

 その結果、今秋9月下旬に盛岡出身の方を先導役とする5名のチームに同行させていただき、岩手・三陸方面への視察が実現したのです。


 予定の訪問地へは、メンバーの方の運転を頼りに、途中、道が途切れる難行ルートを進みながら陸前高田→大船渡→釜石→大槌町の順に巡りました。進路の途上で目にした光景は、たとえようのない虚無感が漂っていました。連綿と続く夥(おびただ)しい量のがれきの山、散乱する遺品の数々、崩壊した大小の家々などなど……。

 初めて甚大な被害の実態を目の当たりにして、地元住民の皆さんが直面する厳しい現実が迫ってくる思いがいたしました。震災以前には豊かな漁場を背景にして賑わっていた沿岸部一帯は、今では、人影もまばらな、無音状態に置かれています。

 被災から約半年以上が経過してもなお、復興への明確な道筋が見えないままでは、いかに辛抱強い東北人気質といえどもがまんの限界があるはずです。実効性の高い支援対策が早急に求められます。

 
ぜったいに復興したい

 他方、混迷の中にありながら再生へ向かって、懸命に努力を重ねている人々に出会いました。幾多の試練を経験しつつ、新たな活路を切り拓こうとする姿勢から、逆に励ましを受けました。

 大船渡では、銘菓「かもめのたまご」で知られる斉藤製菓の工場を訪れました。工場は高台にあったので災害は免れました。港近くの本社営業所がやられました。再開した生産ラインも順調に運んでいるようです。

 被災後に放映された常務さんの言葉がよみがえります。「一刻も早く全員を呼び戻せる状態にしたい」という強い願いが込められていました。正にその一念が実を結んだのでしょう。従業員の方々の活き活きとした動きからも、見事な回復力を見てとれました。

 釜石の根浜海岸に建つ「宝来館」の健闘ぶりも印象に残りました。海辺に面したこの旅館も被害が大きく、営業停止を余儀なくされました。その後、「ぜったいに復興したい」という強い信念のもと、熱い努力の甲斐あって、徐々に再開の目途がつき、宿の改修工事が進められています。女将さんは「地震や津波は乗り越えられるが原発はイヤ」と言われました。旅館の前方には、「慰霊の鐘」という記念碑が建っています。犠牲になった多くの魂を慰めるためであるとともに、残された人々が生きて前進する決意の証であると思いました。

 
折れない強さ  しなやかな心

 最後に訪れたのは、釜石市内にある正福寺幼稚園です。そこでは、副園長さんとその友人の方2名の女性たちとお会いできました。お二人とも、自宅が全壊という深刻な状況下にもかかわらず、それぞれの立場でひたむきに歩んでおられました。

 被害を免れた園内に居を移した副園長さんは、現状を明るく受け止めながら、気丈に仕事と向き合っているご様子でした。「子どもたちからたくさんのパワーをもらい、明るく過ごします」という言葉からもそのことがうかがわれます。

 しかし、長年関わってきたコーラス活動に励んでおられることを知り、単調になりがちな暮らしに張り合いをプラスさせる自助努力の素晴らしさを感じました。このように熟年世代のお二人からは、人生経験に裏打ちされた、折れない強さとしまやかな心が伝わってきます。生きていく上での大切な、バランス感覚の実例を学んだ気がいたします。

 以上、述べたように人々が失意を乗り越えつつ、着実な再生へと歩みを進めていることは、大きな救いでした。が、大量の残骸処理を含めた難題が山積していることも事実です。かつての生活拠点であった場所に十分な活気が戻るまでには、今しばらくの時間の経過を待たねばなりません。

 最初の訪問地、陸前高田の「希望の一本松」は、そこにある≠アとが使命であるかのように立っていました。懸命に堪えて、自らを支えている姿が、被災地の心情と重なります。

 
「希紡の会」を設立  足りないもの送る

 今回の被災地訪問には旭川、郡山、関東から6人が参加しました。櫻井さんは私たちのお茶の先生で盛岡市の出身。同級生らが家の全壊などに遭い、実態を見てほしいという話になって、櫻井さんが現地と連絡をとり、見聞の旅となりました。

 現地では櫻井さんの同級生と親戚のお二人から体験や仮設住宅の様子を聞いて、支援を続けることになり、「希紡の会」を設立。代表は櫻井さんで、不足しているものを二人に送っています。会報も出すことになりました。(菅原須摩子)

  私にもできる事がある
                   福島県郡山市  斉藤 志津子


  きてよかった
  私にもできる事がある
  と思ったのは
  来ていただいてありがとうございます
  の一言から
  被災地でたくさんのショックを受けていた
  気持ちが癒えた

  ボコボコにへこみ錆びた車
  これでもかこれでもかと叩きつけられて
  流されて津波にのみこまれたから?
  こゝに町があったの?
  鉄筋の建物が無残な姿で残っている
  土台だけが残っている
  一本だけ残った松
  寂しそう
  頑張れとか頑張ろうとか
  言えない

  何もない
  すべて流されてしまった
  何をしろというのだろう
  何からはじめたらよいのだろう
  呆然と立ちつくしてしまった
  散乱した鍋や布とん
  そのかたわらに折鶴をそっとおく

  林檎がたくさん届いたよ
  散りじりだった町の人が集まった
  一緒にジャムを作った
  話がはずむ 久しぶりの再会
  幼稚園にもリンゴが届いた
  おいしいリンゴをありがとうございます
  子ども達が送られた人の方角を向いて
  元気な声でお礼のあいさつ
  届くはずのない子ども達の声が聞こえた

  鎮魂の鐘が鳴る澄んだきれいな青
  海は何事もなかったように
  美しい
  何度津波がきてもこゝで生きていく
  復興ははじまったばかり
  長く応援して欲しい
  長く応援したい
  心と心のハーモニー
  私たちは生きている
  私にもできる事がある




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