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昨年9月の集会で、福島の詩人が「私は今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」と言われました。東北の民衆の怒りのことば、抵抗のことばが蘇ってきました。あの声は私たちの声として生かしていきたい。
原発は人間としての倫理に反するものと考えなければなりません。ドイツで原発を廃止する必要があるとした委員会は、原子力倫理委員会と言われています。将来の人間、世界の人間がやらなければならないことです。
日本で再び事故が起きたらこの国人を保っていくことはできないかも知れません。ところが政治家も実業家も官僚も、ウヤムヤの再開を認めようとしています。こういうときに私たちは抵抗しなければならない。それが倫理です。いかなる経済的政治的価値を超えて、根本的な倫理を守り抜こうではありませんか。
私たちに今、希望があるとすれば、現在、原発51基が止まったままであることです。私たちは再稼働を止める決意をしました。その決意を行動に移さなければなりません。それが子どもへの希望の証です。
そうして、鬼が活き活きとしてやさしい人間に戻っていくことができます。私たちも困難と苦しみの中で生きていくことができます。そういうことを確認し合いたい。 |
大江健三郎さん
「守り抜こう人間の倫理」 |
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あの日から1年が過ぎます。政府はなんと非人間的で無神経かと腹が立ってしかたありません。4月に全原発を止めますが、それは私たちがやったことではなく、政府や電気業者が相談してやることです。そのときに、有権者である私たちが、原発は絶対いやだと確認して、自信を持って、責任を持って原発を止めさせましょう。
何としても署名1000万を突破しなければなりません。初めて会う人にお願いするのは勇気がいるのですが、孫の命、牛や犬、描など生きとし生けるもの全ての命に対して大人が責任を持って、どんなことがあっても原発を止めなくてはなりません。 |
澤地久枝さん
「自信を持ち責任を持ち」 |
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5月に小学1年生の娘と三春町から東京へ避難し、身を寄せ合って暮らしています。4月に福島の小学校へ入学したとき、娘の顔に白いマスクがありました。文科省が年間20ミリシーベルトは安全だといい、保護者への便りに地産地消の学校給食をうたっていました。水道水への不安から水筒を持たせると、学校の水道は安全だから水筒はダメと先生から言われ、一滴も飲まず、喉が渇いたけれど我慢したよと誇らしげに言う娘。学校と大人の間で翻弄されるわが子は自分で自分の命の選択をしました。
東京では被災証明がなく、都営住宅を拒絶され、一般の方から住居を提供されて避難しました。一昨日、家主さんが夕食に招待してくれて、都民になったのだから新学期前に都営に移られたらと言われました。あの日、避難を相談すると夫は落胆し、養父は見送りにも出て来ず、またあの日に戻ってしまったのか。娘はまた転校だねと大人の会話を聞き、そしゃくしています。やっと溶け込んだ学校や友だち、やっと決まった職場、それを1年もたたないうちに・・・。小さな娘に押し付けられた人生の選択はあまりに不自然です。
私たち福島県民は一艘の小舟、さざ波の上をくるくる流れていく枯葉の小舟です。この手にしっかりと携えていたはずのオールがどこかに流され、いま握りしめているのは幼い子の小さな手だけです。この子だけでも守りたい。これ以上福島の子どもに苦しみを負わせないでほしい。これ以上生きる希望や夢を奪わないでほしい。
福島に残してきた自分と、ここにいる自分がいつも心の中で叫んでいます。引き裂かれた自分がいつか一つになれることを夢見て、福島と同じ過ちを犯さないよう私にできることの限りを尽くしたいと思います。
どうかいっしょにつながってください。 |
増子里香さん
「生きる希望奪わないで」 |
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私たちがアキラメたとき、私たちの声は届かないのだ。むりやり「収束」と言ったあの人に、原発を輸出しようとしている人たちに、命を侵すものに、人生と人権を奪うものにノーを突きつけましょう。
同時に、命と人権が大切にされる社会、私たちの幸せと誰かの幸せがつながっていく社会へ誇りある少数派として歩き続けましょう。
反原発・脱原発へ、全ての原発的体質を変えるための一歩であることを心に刻んでいきましょう。お年寄りがもう疲れた、お墓に避難しようという社会にならないように、次の世代、その次の世代、そのまた次の世代に胸を張って、99回ネバーギブアップ! |
落合恵子さん
「アキラメずつながろう」 |