東日本大震災・福島第一原発事故から間もなく1年になる。新潟県への避難者は、年配者らが福島に移動するなど県全体では減少傾向にある。新潟市の避難者は昨夏以降、母親と子どもの自主避難が増えている。2月10日現在、県全体で7068人、新潟市で932世帯2464人、私の住む西区で205世帯540人。避難者の皆さんが抱える多くの問題や課題が見えるようになった。若い自主避難者は、二重生活で経済的負担が大変だ。就職や保育園の相談のほか、長期間の別居生活で家族や夫婦の問題が顕在化し、先日も離婚の相談を受けた。原発避難者特例法に基づく指定市町村の子どもたちは、1月から学籍が新潟市になり、3月卒業生も地元の卒業名簿に載らなくなるといった問題もある。
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つきたての餅を食べながらおしゃべりする若いお母さんたち=11年12月20日 |
おしゃべりうつくしまクラブ
西区の避難者は、60歳以上の家族と思われる方が1割強、仕事の関係で夫が福島県に残り20歳代後半から40歳代の母親と子どもの避難が大半である。郡山市59世帯、南相馬市43世帯、福島市33世帯、いわき市13世帯、宮城と茨城県から数世帯など、24の市町村から避難している。
現在、避難者は県の借り上げアパートに移り、家賃は国が払い、市はテレビなどの家電を設置した。しかし、電気・ガス・水道料金等は自己負担だ。福島と新潟の二重生活で夫が新潟の家族に会いに来る交通費など、低賃金の若い人たちには負担が大きい。それに、いつになったら福島に帰れるのか、帰るのが良いのか、まったく生活の見通しが立たないでいる。
西区では昨年夏から、小林義昭選挙に関わった人、社民党の元市議、地元の女性など10名ほどが「西区で原発の勉強会をしたい。福島の避難者と寄り添っていきたい」と毎月話合い(
「けやき会」)を続けてきた。一方、西区に住む避難者は「みんなでおしゃべり・うつくしまクラブ」(代表・渡辺光明さん・楢葉町の避難者)という自主的な会をつくり、毎月70名程で茶話会を開いていた。
若いお母さんたちは、ツイッターなどで情報を交換し、10時から16時までのおしゃべりと情報交換を求めて遠くから子連れで来ている。
被害者救済 橋渡しなども支援
昨年12月20日、「けやき会」の働きかけで一足早い「餅つきとクリスマス」を行った。参加者は、避難者が大人140名、子ども140名、それに新潟のボランティアが60名。定番のあんこ餅、きな粉餅の他に楢葉町風の雑煮、南相馬市風の納豆餅を32キログラムを食べた。避難者からは、納豆餅が一番喜ばれ、「所変われば食べ方も変わるものだ」と感心した。こうした取組みが刺激になったのか、西区で始まった避難者の交流会が他区にも広がっている。2月11日には初の年配者の集まりがもたれ、14名が参加。3月から「うつくしまクラブ」、「年配者の集まり」を毎月開催していくことになった。避難者には様々な問題が降りかかっている。原発損害賠償が進まず、避難指示対象区と自主避難者の間に補償額の差など、新たな溝が生まれている。私たちは、福島原発被害救済新潟弁護団と避難者の橋渡しなど支援していきたいと話し合っている。また、集まりの準備や片付けなど、原発避難者と寄り添いながら、地元での原発勉強会の開催をめざしたい。
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