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2012.3.27
 震災1年後の福島訪問
反原発 共に進もう 
(なのはな生協成田組合員・大木次男)


放射能と雪に覆われた飯舘村役場=2月28日、午前9時頃

 間もなく1年を迎えようという東日本大震災被災地の福島を、「なのはな生協」(千葉市)の加瀬伸二理事長と2月27〜29日の3日間訪れました。29日には大雪になり、記憶に残る取材の旅となりました。目的は、「原発事故を風化させない。福島県民と生産者の現在の実態を正しく把握し広報すること」にありました。



 二本松―飯舘―南相馬

 

 福島県は「なのはな生協」の基本姿勢である「安全と安心」な食材の生産地として重要な地域です。過去にも何度か訪れ話を聞き、支援をしています。
 今回は、二本松市東和地区、飯舘村、南相馬市の有機農業生産者4名と、いわき市の脱原発運動者1名の計5名に案内をしていただきながら詳しく話を聞きました。
 ほかにJビレッジ、北側は南相馬市、南側は楢葉町の国道6号線2カ所の20キロ圏立入り禁止検問所、南相馬市の海岸、いわき市久之浜の海岸なども見て回りました。
 途中、熊本県警などたくさんの応援警察車と警官を見かけました。また、生協所有の放射線測定器(サーベイメーター)を持参し各地の放射線量を測りました。 出発の前に、参考に自宅(成田市並木町)周辺を測定してみました(5センチ高)。駐車場や庭は0・1〜0・15マイクロシーベルト/時、側溝の浸透マスは0・45マイクロシーベルトでした。
 ちなみに、全村避難の飯舘村(事故前の人口6500人)の役場前(28日午前9時)の気温はマイナス3度、積雪30センチ。敷地内にあるモニタリングポストの放射線量の表示器数値は0・55マイクロシーベルト(測定点は不明)、持参の測定器によると役場駐車場は10センチ高1・28、同5センチ高4・0、芝生土は今回最高値の5・6でした。役場の隣には老人ホームがあり、お年寄りとその世話をする関係者約100名が避難しないで残っています。また、無人の村内を警察官の他に防犯パトロールする人たち(村民約400名の交代制)の集結・休憩・食事場所になっている公共施設もありました。


 諦めておれない 土を再生させる


 最初に、二本松市の東和有機農業研究会の菅野正寿さん(53歳)と佐藤佐市さん(60歳)から話を聞きました。
 「震災のあと3月15日に、浪江町から3000人が二本松市に避難してきた。その対応で大変だった。7つの空き校舎の掃除や暖房、日用品、寝具の用意、炊き出しなどやることは山ほどあった。避難して来た人たちのお世話で、4月いっぱいは放射能を考えている暇はなかった。
 二本松地区は農産物を出荷できる線量だが、風評被害が大きい。私たちが運営を委託されている道の駅ふくしま東和でも、野菜が売れない。新開発した桑茶も売れない。そのうち出荷先の生協やスーパーなどからもストップの連絡が入ってくる、被災者支援と出荷制限の野菜への対応でてんてこ舞いだった。
 ショックだったのは、3月の須賀川市の有機農業でキャベツを作っていた男性の自殺だった。安全と安心をめざし、有機でおいしい野菜を作ってきたのに出荷できなくなった。原発事故ですべてパーになりお先真っ暗になったのだと思う。 6月には相馬市の男性酪農家がチョークで板壁に『原発さえなければ…』と書き残して自殺した。私たちは、米や野菜を作付けし収穫する、牛を育てて乳を搾ることが生きがい。それができないということは、生きてゆくことを否定されたことと同じ。諦めてはいられない。すべての農地などの除染は不可能だと思う。 ではどうすればいいのか。今、研究者も入れて汚染土壌対策を本気で取り組んでいる。試行錯誤の中から、セシウムを耕し埋め込み閉じ込める、ゼオライトで固定化して土を変える、有機農業で汚染された土地を再生させる。土の持つ包容力は大きい、これを借りて活かすことだと思う。
 そして、避難している皆さんに福島に帰ってきてもらう、安心して福島の野菜を食べてもらう。これが地域からの真の復興だと思う」。


 飯舘村では、有機農業者のTさん(61歳)の自宅で話を聞いた。「1日置きに猫の餌をやるために自宅を見回っている。近所の猫も3匹くらい寄ってくる。無人になった自宅のネズミを捕ってもらうために大切にしている。
 春がきて農業の準備にとりかからなければならないのに、農地の除染は無理だ。マスコミなどからいろいろなことを聞くと、状況がますます厳しく悪くなってきていると感じる、いつまで続くのかと落ち込む。
 村長の帰還方針もトーンダウンしてきている。2年も作物を作らないと大切な農地が荒れてしまい、元に戻すのが難しくなる。野菜も美味しいと言ってくれていたが、身内に送れないし送る気にならない。
 昨年、娘が東京で結婚したが『飯舘村生まれと言えない』と言う。早く線量が少なくなり、作物を作りたい。みんなでいろいろ研究している。落ち着いた生活を取り戻したい」。
 第一原発から13キロの南相馬市の有機農業者(75歳)からも道の駅「南相馬」で話をうかがった。
 「これまで3回帰宅したが、車はあらかじめ登録したものでないと中には入れない。今は、南相馬市の原町の仮設住宅に家族7人でいるが、狭いし、することがないのでみんな気が立ってすぐケンカになってしまう。
 習慣になっていた5時起きの朝飯前の軽い作業もないので、暖房費の節約のため8時頃まで寝ている。身体のリズムが狂ってしまう。米を作る目標と、収穫する成果のないことはつらい。
 75歳にもなって、原発事故のために生きることを全否定されるとは思わなかった。田んぼの補償が1反歩当たり6万円、1町歩で60万円、10町歩で600万円になる。長い間米を作らないでお金をもらうのは人間が堕落する、農地が荒れてしまう。農業もやめる人が出てくる。早く再開できるように家族や仲間と頑張りたい」。


 反原発の呻き 風化させない


 いまなお続く事故の収束作業の拠点となったJヴェレッジ=2月29日
 1年たっても事態は何も良くなっていない。逆に小出しに入ってくる情報は厳しいものばかり。隠され矮小化される事実、なりふり構わない責任逃れ、再稼働のための安全キャンペーン、20キロ検問所の内側と外側、無人の村と締め切られたスーパーや商店、整地はされているが残された山積みのがれき、土台だけの家屋跡、何百台も整然と並べられた津波被害のくしゃくしゃな車、消しようのない放射能、入れてくれなくなったJビレッジ、死亡者1万5854人・行方不明者3274人・仮住まい者26万人(3月5日現在)。


 これが今の福島の現実、日常と非日常です。風化させてはならない。私たちは、原発をすべて止めさせて、放射能を正しい知識で正しく恐れながら、福島の人たちと進もう。

原発に凍てたる波は明日も寄す
凍て波に反原発の呻き声
原発を怒り嘆きて春いまだ



■なのはな生協千葉県北西部と東京都北部がエリア、安全と安心が基本方針。有機生産物・無農薬・非遺伝子組換え食品などを扱う。組合員約1万2000人。風評被害などで東京電力に損害賠償を請求中。
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