新社会党
  1. トップ
  2. 週刊新社会
  3. 今週の新社会
  4. 2012.11.13
2012.11.13
希紡の会 三陸めぐり旅 
被災地を元気に 
(さいたま市・荒畑正子)

 
大船渡でモニュメント「明日へのラブレター」を制作する彫刻家原田ミドーさん(中央男性)と 
 東日本大震災からの復興と再生を願い、被災地と交流する「希紡の会」(代表・櫻井英子さん)主催の「三陸めぐり旅」が10月21日から22日に取り組まれ、北海道や東北、関東各地から41名が参加しました。被災地は石巻、大船渡、陸前高田をめぐり、犠牲者を追悼するとともに、家や大事な人、大切なものを失いながらも明日へ生きる人たちと交流しました。「希紡の会」は昨年、櫻井さんや菅原須摩子さんらが三陸を訪ねて仮設住宅に避難した方と交流したことがきっかけで結成されました。


 恐怖を見た


 釜石駅前の復興の鐘を打ち、根浜海岸に向かうときには、すでに夕暮れになっていた。道の両側はコンクリートの基礎だけが残されている。
 3・11前は、街灯が灯り、家並の明りが続き、家族の楽しい団欒だったろうと想像したが、コンクリートの基礎だけを残し、すべてを破壊されてしまったんだと思った途端に、胸がキュンとしてしまった。
 翌朝、澄みきった空気の中、鎮魂の鐘を鳴らし、静かに松林を抜け、きれいな海をみわたした。後の宝来館を振り返りながら、この静かな波が2階まで打ちつけたことに、自然への恐怖を感じた。
 宝来館の女将岩崎昭子さんのお話では、「助けに出て波をかぶり、頭の上をバスが2台、車が9台通過した。何とか助かった。120人の避難所となり、米も底をついた。数日後小袋に入った手紙付の米が段ボールで届いた」という。
 大槌町の防災センターの鉄骨が残っていた。そこは壊滅的被害を受けたところだ。被災地の恐怖を目の当たりにした。


 「明日へのラブレター」


 大船渡市には、彫刻家原田ミドーさんと協力者で制作中の復興モニュメント「明日へのラブレター」がある。中には瓦礫(がれき)が埋め込んであるとのこと、私たちもモザイクタイルを張らせていただいた。
 土地を提供された志田秀一さんのお話を聞くことができた。「ガスが充満し、クラクションが鳴り続けていた。家が流される。鳴き叫ぶ声…。高台に家が3軒残った。1軒におよそ30人を1〜2カ月受け入れていただいた。ルールでおにぎり1個。息子も野球やっていて3杯飯を食っていたが文句は出なかった。腹がへっている。目的もなく右往左往した。妻が帰ってこなかった。死体安置所にも行った。3日目無事再会した。妻をこんなにも愛していたんだと思った。紹介で原田さんに出会った。原田さんが地域の人に溶け込み、一生懸命やっている姿を見て人々が立ち寄ってくれる。次のステップにと思っている」


 復興はまだ


 被災された方々の生きる姿勢、自分たちで考え、相談し、決めていくという積極的な姿勢がとても印象的で心に残った。
 岩崎さんは「高い防潮堤を造る計画が提案され、もう一つの集落はそうした。しかし、私たちはみんなで相談しそれを拒否し、みんなで高台移転を決めた。海の見える観光を生かした産業、子どもたちの教育に力をいれる、文化村をつくりたいなど、自分たちの街づくりは自分たちで決めた。行政を頼ってもだめ」と語っていた。そして「何もしなくていいですから、ぜひ来てください」と言っていた。
 被災地の方に何かできることはないかといち早く「希紡の会」を立ち上げた方の行動力、そしてその献身性も学ばねばと思った。多くの方々と交流でき生涯忘れられない2日間となった。

 ↑上にもどる
一覧へ
TOPへ