安倍政権はサンフランシスコ講和条約の発効に伴い日本が敗戦による占領を脱して独立したことを記念し、4月28日に「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を挙行する。その一方で、日米両政府は「日米同盟の完全復活」の証として米軍普天間基地の返還を「2022年度またはその後」とし、辺野古沿岸部への新基地建設と嘉手納以南の5施設・区域の返還をパッケージで合意した。基地の縮小・撤去を求める沖縄県民は、米軍基地の集中化をもたらした「4月28日」を「屈辱の日」として抗議の県民大会を開く。
米軍は1945年の敗戦以来ずっと日本に居座り続けている。その74%が沖縄に集中している。独立国かと疑いたくなるこの異常、理不尽。その根源となったのが、「三段構え」といわれるサンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定(60年安保で地位協定)だ(升味準之助『戦後政治』)。ここに戦後政治の基礎が固められた。
講和条約は朝鮮戦争の勃発により一挙に具体化し、1951年9月8日にソ連、中国等を除く西側戦勝国48カ国との間で締結された。いわゆる片面講和である。日本は反共防波堤の役割を担い、国内的に再軍備へ「逆コース」を歩み出す。
講和のヘゲモニーを執った米国は、独立の条件として「われわれ(米国)が望むだけの軍隊を、望む場所に、臨む期間だけ駐留させる権利を確保すること」(豊下楢彦『安保条約の成立』)を突きつけて成功する。この米国の意向は「沖縄の米軍占領を無期限で継続してほしい」と米側に伝えた昭和天皇メッセージに合致した。
密約の温床
この米国の意向と天皇メッセージを担保したのが安保条約と行政協定である。安保条約は5条からなり、講和条約と同じ日に吉田茂首相一人が署名した。旧安保条約は米側に日本を防衛する義務はなかったが、全10条からなる60年新安保は防衛義務を明記した。
行政協定は旧安保条約第3条に基づいて1952年2月28日調印、発効は講和条約と同じ52年4月28日。全29条からなり、基地の継続使用、米軍関係者への治外法権、有事の際の一括指揮権など占領軍の権利をほぼ認めた。新安保条約第6条に基づく地位協定もほとんど変わっていない。しかも、行政(地位)協定は国会の審議や批准を必要としないため「密約」の温床となった。
その第2条は「いずれか一方の要請があるときは、・・・・前記の施設および区域を日本国に返還すべきこと、または新たに施設および区域を提供することを合意することができる」と定めている。つまり、「合意」できなければ半永久的に居座り続けることができるのだ(孫崎享・元防衛大学教授)。
安保条約は80年以降、日本と極東の範囲を越えて世界中に自衛隊を派兵し、米国の軍事行動を支援する日米同盟に変質した。この過程で、戦争放棄の憲法は実態にそぐわないとして邪魔物扱いにされてきた。
米軍は撤退せよ 日米安保は破棄
安倍政権の「主権回復」は、以上の素述からも欺瞞でしかない。真の主権回復は米軍駐留の中止、安保条約と地位協定の破棄を抜きにはあり得ない。
ところが安倍政権は米軍駐留をより強固にし、揺るぎない日米同盟へ暴走する。普天間基地の「5〜7年以内の全面返還」が、辺野古沿岸部に代替施設建設へと変わり、時期も「2022年またはその後」に先延ばしされた。嘉手納以南の施設・区域の返還は県内玉突き移設となる。
日本の核武装をも容認する安倍首相の「主権回復」は、祖父岸信介譲りの自主防衛路線への本格始動宣言だ。A級戦犯容疑の岸は、講和条約発効に伴う追放廃止令で追放を解除された。主権回復記念式典は、岸の追放解除を記念するセレモニーを暗示している。
なお、同年5月3日に独立記念式典が皇居前広場で挙行された。その前年に社会党が平和4原則を決議、そのため左右に分裂している。4月28日は平和4原則の今日的意義を再確認する日にしたい。
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