麻生太郎副総理のナチス発言は瞬時に世界中を駆け巡り、撤回に3日とかからなかった。その非常識と無知に世界は憤激、警戒し、呆れた。首相経験者で安倍政権ナンバー2の発言は、日本の政治の貧困さを際立たせた。しかも、発言撤回の裏に米政府の非公式の忠告があったという。撤回発言は本心から出た反省の弁ではない。そもそも、日独伊三国同盟時代の帝国憲法に先祖返りを狙う自民党改憲草案にナチスへのシンパシーが潜んでいる。
「ワイマール憲法はいつの間にか変わった。あの手口を学んだらどうか」。日本の改憲は「喧騒のなかで決めないでほしい」として、ヒトラーが政権を握ったワイマール憲法を引き合いに出した麻生発言は、7月29日の「国家基本問題研究所」の講演で飛び出した。
ところが、8月1日の撤回発言は、問題をヒトラー政権下のワイマール憲法停止の経緯にすり替えた。たしかに、ナチスの政権掌握は民主的なワイマール憲法(1919?1933年)下で合法的であった。第1次大戦の敗北後、ドイツは巨額の賠償、経済恐慌とインフレに見舞われた。国民に民主主義の訓練が乏しく、国民の政治不信は高まっていく。
ヒトラーは没落する中間層、失業者、帰還兵士、若者を惹きつけて勢力を拡張、軍隊・官僚・独占資本の支持を得て首相に就任。憲法・議会無視の全権委任法を成立させ、ナチス独裁体制の完成に2年を要しなかった。政権掌握後、国会放火事件を機に政党・団体を禁止、暴行と迫害の恐怖政治を敷いた。
◆ヒトラー内閣の「全権委任法」◆
第一条 政府は、憲法によって規定された方法以外の手続きで、法律を制定することができる。予算・国債募集についても同様で議会の賛成をへずに決定しうる。
第二条 政府が制定する法律は憲法の規定と相違しうる。
第三条 政府によって決定される法律は首相が起案し、法律公報に告示する。
第四条 外国との諸条約は本法の有効期間中は、議会の承認を要しない。
第五条 この法律の有効期間は一九三七年三月三日までである。
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