安倍首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇、座長・柳井俊二元駐米大使)が9月17日、2月の始動以来7カ月ぶりに議論を再開した。狙いは「戦争のできる国」へ、半世紀の間、憲法により禁じられてきた集団的自衛権行使を容認すること。安倍政権はこの憲法解釈の変更を年内に閣議決定し、国家安全保障戦略と防衛大綱に反映させ、来年の通常国会に国家安全保障基本法と集団的自衛権事態法を提出する工程表を描く。これによって自衛隊の実質軍隊化が限界点まで進み、第9条が完全に空文化する。集団的自衛権行使に反対し、安倍政権打倒の世論を盛り上げよう。
第一次安倍内閣の安保法制懇は、集団的自衛権の行使に関して@公海における米艦の防護、A米国に向かう弾道ミサイル迎撃、集団安全保障に関してはBPKOにおける武器使用、CPKO参加の外国軍隊への後方支援の4類型を検討し、「可能」と提言した。
今回は対象国を米国以外に豪、印などに拡げ、検討事項も邦人救出、離島占拠への即応、サイバー攻撃への自衛権発動など「法理的な禁止を全面的に解く」(北岡伸一座長代理)。政権内部では「地球の裏側まで行って戦闘行為に加わる」ことをも容認する意見すら出ている。
国の基本政策の大転換に挑む安倍首相は、「国際法上、集団的自衛権を有しているとしても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限」されている日本を「禁治産者」と規定。今回、アジア・太平洋における中国の台頭、朝鮮民主主義共和国の核ミサイルの脅威など「安全保障環境が大きく変化した」ことを奇貨とした。
集団的自衛権の行使は国連の安保理決議を必要としない。日本の独自判断で軍事行動が可能。大義名分は「国民の命、民主主義、自由、基本的人権を守っていくために」だ。
安倍首相は自らの「歴史的使命」を「憲法改正」におく。それが現状では困難と見て96条改定を先行しようとしたが世論の反発を読んで、「歴代自民党の安保政策をも書き変える」解釈改憲に切り換えた。
安倍首相には、集団的自衛権の行使を担保に日米安保条約において双務性を実現し、米国と対等の関係に立つことができるという政治信条がある。それは祖父岸信介元首相の安保改定に見せた信条の由来に他ならない。
危うい法治国家 裏で米国が操作
その安倍首相の前に、半世紀にわたり集団的自衛権行使=違憲論を堅持してきた内閣法制局と与党公明党、中国・韓国など近隣諸国が障害となって立ちはだかった。そこで安倍首相は、まず内閣法制局長官を容認派にすげ替えるクーデター人事を断行した。
小松一郎新長官は「最後は内閣が決定する問題」という歴代法制局をも否定する見解を披瀝。元外務省情報局長の孫崎享氏は「小松さんは国際法の専門家で、国連憲章が最大の根拠となっているようだが、政治の判断を優先するのは法治国家では公平な判断とは言えない」と批判する。南野森九州大学准教授も言うように、その時々の政治の判断にゆだねれば、法の「一貫性、整合性、論理性」は確保できず、法治国家の安定性が失われる。
こうした憲法を破壊する集団的自衛権の行使を日本に求めるのは、日本を「ジュニア・パートナー」、「成熟したパートナー」と呼ぶ米国だ。
米国の世界戦略への一体化が有無を言わせぬ要請となり、日本は冷戦後もPKO協力法(92年)、日米防衛協力の指針(新ガイドライン、97年)、周辺事態法(98年)、テロ対策特別措置法(00年)、イラク復興特別措置法(03年)、憲法改定のための国民投票法(07年)とひたすら「戦争のできる国」へと歩んできた。
君子は豹変する
そもそも、安倍首相をはじめ集団的自衛権行使推進派が根拠とする国連憲章51条は米国が導入したものだ(その経緯は豊下彦『集団的自衛権とは何か』岩波新書に詳しい)。
安保法制懇の柳井座長は、外務省条約局長であった90年9月7日の国会答弁で、「集団的自衛権の行使は憲法上認められないという政府の一貫した立場でございます」と答弁している(南野准教授)。君子(?)は豹変した。その先に明文改憲が待ち受けている。
しかし、「集団的自衛権の全面解禁を軸にすえた『自主憲法』も結局のところは、今回の米国の国益を背景として新たな『押しつけ憲法』という評価を受けるだろう」(豊下前掲書)。
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