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辺野古キャンプシュワブゲート前で抗議を続ける人々=10月14日 |
新社会党は10月12〜16日、名護市辺野古の新基地建設や北部の東村高江ヘリパッド建設に反対し、11月の県知事選で米軍の基地拡張か撤去かが最大の争点となる沖縄の闘いに連帯するため派遣団を送った。
派遣団は長南博邦書記長を団長に事務局に毛利孝雄(東京)、団員は町田俊治(東京)、平野良成(千葉)、望月牛女子(東京)門永三枝子(兵庫)の6名。出発の日に台風19号が沖縄を直撃、臨時便に搭乗し、夕方に沖縄に到着した。小雨と強風の中、レンタカーを借りての行動が始まった。(報告・町田)
東村高江ゲート前で
12日 夕方、上原カイザ那覇市議、沖縄大学学生らと交流、事前レクチャーだ。
13日 沖縄大学で糸数慶子参議院議員と懇談。糸数議員は県知事選を沖縄の自己決定権を求めてオール沖縄で闘い、基地問題に風穴を開けるために「オナガ候補の必勝をめざす」と決意を述べ、長南団長がカンパを手渡した。
その後、辺野古のテント村を訪ねた。「命を守る会」としての座込みは7年余(2639日)、「ヘリ基地反対協」が引き継いで10年余(3830日)になる。次いで、映画「標的の村」で知られる高江N―1地区ゲートのヘリパッド建設反対座込み現地へ。「住民の会」の宮城共同代表から説明を聞いた。
高台から見る「ブロッコリーの森」と言われる広大なやんばる(山原)。人口150名の、子どもが多い集落にジャングル戦闘訓練を行う米軍北部訓練場が隣り合わせにある。オスプレイが発着するヘリパットが22カ所。さらに6カ所の建設が予定されている。
激励のカンパと連帯の写真をとり、高江を後にした。
キャンプシュワブで
14日 台風が去り、暑い沖縄が戻ってきた。早朝から前線基地の辺野古キャンプシュワブゲート前のテント設営(数十メートル)と座込みに参加。ゲートはトラックの泥落しと称して、座込み妨害のギザギザ鉄パット(殺人鉄板)が一面に敷かれ、アルソックの警備員が隙間なく監視していた。真っ黒に日焼けした山城博治さん、安次富浩さんが現在の状況を報告し、闘いの先頭に立っていた。
各地からの連帯、定期的なゲート前の抗議行動、日本山妙法寺の読経と太鼓が響く。通行車から手を振り、クラクションを鳴らしてゆく、多くの県民が支持している闘いだ。
海上では20〜72歳のカヌーチームを中心に反対行動。多くの支援により現在、カヌーは40槽、船は8隻が確保されている。
辺野古の海に海保が設定した法的根拠のない特別警戒区域。そこに設置された数キロにも及ぶブイ・フロート(埋め立て工事の海域を示す)が台風でバラバラに吹き飛ばされ、陸に打ち上げられ、大岩にまきついて跡形もなくなり、美しい元の海になっていた。
最大の山場は県知事選。戦争への道に組しない、政府に新基地断台に登り、その後オスプレイが駐機している佐真下ゲートに向かったが、オスプレイは整備中らしく1機も飛行しなかった。16日早朝、大山ゲート前抗議行動(10月念をさせるまで、沖縄は粘り強く、非暴力で闘っている。
普天間基地ゲートで
15日 辺野古ゲートのテント設営を手伝い座り込む。その後、辺野古漁港から船に乗る。台風のおかげで警戒区域がなくなり、1時間かけて長島と平島を過ぎ、奇跡の海といわれる大浦湾までを航行した。
海上から米軍キャンプの建物、施設が見える。無残に漂うブイ・フロートを見ながら、透き通った海底の様子とサンゴ礁の群生、この広大な自然と生態系を壊して埋め立て(1日に592台の大型トラックで運搬)、人殺しのための軍港と滑走路を2本造ることがなぜ許されるのかと怒りがわいてくる。
派遣団は下船後、沖縄戦で激戦となった普天間基地を望む嘉数高台に登り、その後オスプレイが駐機している佐真下ゲートに向かったが、オスプレイは整備中らしく1機も飛行しなかった。
16日 早朝、大山ゲート前抗議行動(10月1日で満2年483日)に参加。道路沿いにプラカードや旗を立てて、車で出勤する米兵に向けて、「NO!オスプレイ」のプラカードを掲げて抗議した。最近はオスプレイファンクラブを通称、誰が抗議に参加しているかと監視し写真を撮り、ネットで圧力を掛け、妨害してくるという。
もう一つの野嵩ゲートは県道沿いで通行する県民に対して、アピールすると、手を振る人やうなずいてくれる人があり、基地反対の声が浸透していると感じた。
派遣団の沖縄現地での経験は大きく、多くの持続した闘いと仲間に学んだ。沖縄の基地問題は今、日本全体が問われている安倍の暴走をどのように食い止めるのかという課題につながっている。
沖縄現地と固く連帯し、沖縄の悲鳴と真実を伝え、オール沖縄から、オール日本への闘いへと結合しよう。全国の仲間のみなさん、支援カンパありがとうございました。
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