戦後70年を迎えて政府は8月14日、「安倍首相談話」を閣議決定した。安倍首相は政権に復帰する前から「村山談話」(1995年8月15日、閣議決定)を「一面的。村山さん個人の歴史観に日本がいつまでも縛られることはない」とし、第一次政権で「安倍談話」を出そうと画策したことがあり、満を持してそのときを迎えたことになる。だが、戦争法案をきっかけに国民のアベ政治に対する警戒心が高まる中、安倍談話は閣議決定とするか個人談話ですますかの手続きも含めて二転三転し、「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのお詫び」のキーワードは盛り込んだものの、主体意識(主語)のない談話となった。しかも未来志向の証に「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、村山談話の理念を否定するものになった。
結果として安倍談話は、村山談話、首相の「21世紀懇話会」の報告、首相自身の歴史修正主義による歴史観、日米同盟の「自由と民主主義、人権といった基本的価値観」という4つの理念・歴史観・価値観との折衷となった。例えば21世紀懇和会報告の歴史観は首相の歴史観とは異なったが、日本を「戦争ができる国」にする「積極的平和主義」では完全に一致する。
村山談話との折り合いは、念願の憲法改定へ長期政権を展望する上で内閣支持率の低落を食い止めておくための譲歩に過ぎない。
「村山談話を継承し発展させる会」共同代表の鎌倉孝夫・埼玉大学名誉教授は、村山、安倍両談話の相違について「村山談話は憲法9条に立ち返ることを明確にした。憲法は自由と民主主義や法の支配といった価値観や体制の違いを超えた平和共存の思想を根本においている」と言う。
その村山談話のエッセンスは、@ 「われわれが…歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないこと」、A「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって…とりわけアジア諸国の人々に対し多大の損害と苦痛を与え」た、B 「私は未来にあやまち無からしめんとするが故に…ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からおわびの気持ちを表明」、C 「わが国は深い反省に立ち、独善的ナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて平和の理念と民主主義を押し広めていかなければ」と要約できる。
20年後の安倍談話は歴史の教訓に学ばず、人類社会の平和と繁栄の道を誤り、独善的ナショナリズムを復興し、国際協調を阻害する内容に変質した。
安倍談話は先の大戦への道のり、敗戦の教訓、未来展望の3部構成。だが、先の大戦への道のりにはなぜか日清戦争が捨象されている。日清戦争に至る朝鮮侵略と台湾割譲・占領の歴史に触れたくなかったのだろう。
安倍首相の修正主義的歴史観は日露戦争を「アジア、アフリカの人々を勇気付けた」と評価し、日本を欧米列強による経済ブロック化=植民地支配の波に対抗する「挑戦者」と見なし、先の大戦への道を「外交的経済的な行き詰まりを力の行使で解決しようと試みた」という記述にうかがえる。むろん天皇制軍国主義の批判はない。
村山談話との大きな違いは加害と謝罪の主語が不明だというだけではない。村山談話がアジア諸国等への謝罪を日本の犠牲者の「御霊」を「鎮めるゆえん」とするが、安倍談話は「御霊」を再び戦争の鏡とし、中国や朝鮮民主主義人民共和国を敵視している点にある。
安倍談話は従軍慰安婦問題も「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」と他人事にした。また、経済ブロック化の教訓からTPP等の強化を結論づけた。
安倍談話は、将来世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないと自虐史観批判に応えた。そこに国民の歴史認識を改ざんする意図が読み取れる。
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