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新憲法發布記念碑 |
戦争からの解放を喜ぶ |
宮城県蔵王町矢附(ヤヅキ)地区、蔵王山麓の農村地域に「新憲法發布記念碑」が建っている。今までほとんど関心が持たれていなかったが、改憲の動きの強まりでにわかに注目されている。
道端に消えかけたようにも見える石碑があり、何の石碑かと苔を剥がしてみると、72年前に地域の人たちの寄付金で建立されたものと判明した。
区長の我妻正美さんは、「戦争から解放され新しい時代になった喜びから建立された石碑でしよう。平和を守るのは大切なことだったのでは」と語る。近くには、太平洋戦争で戦死した13人の若者の名を刻んだ鎮魂碑も建っている。
碑面は上部に「新憲法發布記念碑」と横書きで大書されている。右から左に読んでいく字の並びや、「發」という旧字体などが時代を感じさせる。その下には縦書きで細かい字の銘文が彫られ、寄付した約80人の名前と金額が刻まれている。
「新憲法發布記念事業トシテ矢附警防團発起ノモトニ有志各位ノ熱烈ナル御後援ヲ得、喞筒ノ新備並ニ電話ノ新設ヲミタリ 村民各位ニ深謝シテ永遠ニ記念スルタメ之レヲ建ツルモノナリ 昭和二十一年十一月三日」
「新憲法発布記念碑を讃えるみんなのつどい」が昨年11月23日、現地で開かれた。
呼びかけは、大友健(岩沼市議)、長澤汪恭(『吉野作造通信』を発行する会事務局長)、横内勲(憲法をまもる市民委員会事務局)の3氏。呼びかけから数日、しかも小雨降る寒い日、野外での集会にもかかわらず、50人以上が集まった。みんなで「石碑」を確認し、驚きと喜びに包まれた。
微かにしか読み取れないのだが、片栗粉を碑面にまぶすと、碑文の文字などが白字で浮き上がり「オーッ!」と、どよめいた。
喞筒(しょとう)とは消防ポンプのこと。矢附は当時の円田村の中でも貧しい集落で、ポンプも電話もなかった。「憲法公布」をきっかけに、これらを購入するために寄付金が集められたという。
集会では、当時作られた憲法発布を記念する歌『育てる役目は私たち』や『われらの日本』などの歌唱を聴いて、戦争から解放された一般市民の喜びを共に感じた集会だった。
参加した元白石市長の川井貞一さん(首長9条の会の代表)は、「戦争ができる社会にしようとする政府の企みを潰すには、野党の団結と学習した市民の結集こそ大切だ」と力説した。
参加者からは、「憲法は押し付けられたと宣伝する人がいるけど、戦争で若者を亡くした人たちには希望の法だったのね」とか「こんな大切な記念碑があることを、みんなに知らせなければ」「当時のお金で3000円も寄付した人がいるけど、今の金額にすればどのぐらいになるのだろう?」などなど。
戦後の厳しい暮らしの中で平和を求めた心意気が、暖かい火を灯した集会だった。(Y)
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