昨日は、3回目の「3・11」だった。すぐ帰れると思って福島の故郷を逃げ出し、転々とした16万人超の避難者は、今も帰還も生活再建も見通せない。避難できない住民は、子どもの健康に不安が募る。そして訴訟が続々と始まっている。
朝日新聞(3月2日付)によれば、福島県外に避難している小中学生はなお5900人。昨年春から約1000人が戻ったが、県外避難も続いているという。
放射能の不安が減ったから戻ったのではない。仕事の関係で親は福島に残り、子どもと片親だけの避難が多い。
2年も別離に幼い心が耐えられない。しかし、戻ったはいいが、福島市の学校すら一部に「立ち入り禁止」のロープが張られ、甲状腺がんの恐怖が去らない。
避難者を傷つけ
朝日は、避難者が「後ろめたい」と感じていることも報じていた。新潟に避難した女性は、「誤解されて、手厚い補償を受けていると陰口をたたかれていないかと周りの視線がいつも気になった」。
我々も福島の仲間から、心を痛める報告を多く聞く。
避難者住宅の駐車場で44台も壊された。子どもが避難先の学校で「10万円、10万円」(東電の精神的慰謝料のこと)とはやされた。「昼間から酒を飲んでパチンコをしている」と陰口される。
想像してみよう。農業・牧畜との関わりが全てだった農民から、土地と家畜を奪ったらどうなるか。戻れる見通しもなく、先行き不透明で別の生業に転業する資金もない中で、毎月わずかの「精神的慰謝料」だけ渡されたらどうなるか。
こうして、自ら命を絶ち、閉じこもり、うつ状態になる人が後を絶たない。
加害者の押付け
だが今、被災者・避難者自身が続々と立ちあがっている。生活再建をなしうる損害賠償請求訴訟はいわき地裁で審理が始まり、4月に「相双の会」が参加する第二次集団提訴が予定されている。
2月だけでも、双葉病院入院患者が避難のために5日間で390人中19人も亡くなったことへの慰謝料を求める集団訴訟、「原発さえなければ」と牛舎に遺書を残して自殺した相馬市の酪農家の遺族による訴訟と続いた。3月11日には低線量被曝への慰謝料を求め300人の集団提訴が、いわき地裁に出された。
共通するのは、加害者(政府・東電)が一方的に定めた「損害賠償基準」と「避難地域」の一方的な線引きにしばられず、被害者の当然の権利として要求し始めたことだ。
3・11を風化させず、原発を全廃させる最大の根拠は被災実態にある。被災者が諦めさせられ、加害者が決めた賠償を押し付けられ、誹謗・中傷に傷つけられたら、被害の実態は闇に葬られる。「相双の会」の提訴(國分富夫団長)を支援し、全国各地で損賠裁判闘争の報告集会を開き、原告・被災者の声を広げていこう。