「不戦の誓い」を国の最高法規とする日本国憲法が今、その制定後最大の危機を迎えている。8月15日は過去の戦争の犠牲と痛み、そして現在も世界各地の戦争で犠牲となっている人々に思いを馳せ、わが身と心を重ねる日である。
1945年8月15日から、間もなく68年目の日を迎える。
あの暑い夏の1日に連なる8月9日長崎原爆投下、8月6日広島原爆投下、6月23日沖縄戦終結、3月10日東京大空襲。これらの犠牲をはじめ天皇制国家が国内外で2千万人以上の戦争犠牲者を出し、それをはるかに上回る人々に塗炭の苦しみを与えた。
2013年8月15日は、まさにこれら戦争の犠牲者を慰霊し、不戦の誓いを新たにする日である。
忘れ物を取り戻す
だが、68年前の8月15日に天皇制国家という忘れ物をしたと思い込む安倍首相は、何としても忘れ物を取り戻そうと、巧妙かつ強引に宣伝戦を含めて仕組む。
法制定は事実の積み重ねといわれる。憲法9条改「正」のために、長い時間をかけて自衛隊を正当化し、言うのもはばかられた日米の同盟という表現は、今や軍事同盟であることを隠さない。
自衛隊の海外派兵も、「実績」を積み上げた。格差拡大がもたらす貧困は、青年が現在と未来の生活のため、自衛隊に入るという選択肢を作りだしている。
そして、安倍政権は待望の衆参ねじれ解消で、秘密保全法制定や集団的自衛権行使の容認へ踏み出す決意を披瀝する。
現実を受け入れよとの圧力はことのほか強くなる。96条先行改憲はとん挫したかに見えても、憲法改「正」を発議する衆参両院には憲法審査会があり、国民投票法は生きている。
米軍のオスプレイ配備が首都圏、横田基地に迫っている。野田首相(当時)は昨年7月、フジテレビで「配備は米政府の方針であり、同盟関係にあるとはいえ(日本から)どうしろこうしろと言う話では基本的にはない」と語った。この論理からいえば横田配備も可能なのだ。
そして、この野田首相の認識は、日米地位協定の下では正しい。知らなかったのは、沖縄県民や米軍基地周辺で被害を受け続けている住民を除く、あまり関心を持たなかった多くの国民である。
憲法は、日米安保条約に基づく日米地位協定によって侵され、宗主国と植民地の関係をつくりだしていたのだ。
想像力を広げ培う
8月15日を、単なる慰霊の日としてはならない。犠牲と加害をもたらした近代日本の歴史を学び、平和憲法の価値を深く知り、心に刻むことが不可欠である。
日本人犠牲者300万人を、数で捉えてはならない。1人でも、わが子や親、夫や妻、友人が犠牲になることはどういうことなのか。また、1人でも人を殺すということはどういうことなのか。想像力を広げ、培う日としなくてはならない。