安倍晋三首相は、日本を「戦争ができる国」に変えるため周到かつ強引に様々な暴挙に出た。アベノミクスを実践する金融政策を行う日銀総裁人事や、NHK会長人事、極め付けは違憲の戦争法案を提出するための内閣法制局長官人事だ。
安倍首相は、12年末の総選挙で小選挙区制のカラクリで大勝するや、白川方明日銀総裁を任期前に退任させて13年3月、アベノミクスを金融面で支える黒田東彦総裁を据えた。
黒田氏は異次元の金融緩和で円安・株高を進め、景気回復の幻想を振りまき、対決法案の強行を構えた安倍内閣の支持率を高止まりさせる政策を実施した。
金融緩和と安倍内閣の大企業本位の経済政策は、富める者をますます富ませ、持たざるものをますます困窮させる格差拡大を生んでいる。トリクルダウン論の破綻は明らかだ。
禁じ手で再挑戦
次に13年8月、「集団的自衛権は憲法違反」とする歴代内閣の見解を主導してきた内閣法制局長官を、局次長昇任の慣例を破って集団的自衛権行使容認の外務官僚・小松一郎氏にすげ替えて憲法解釈変更に「再チャレンジ」する禁じ手に出た。
その後、体調を崩した小松氏の後任に内閣法制局では憲法解釈を担当する「第一部」の経験が長い横畠裕介氏を昨年5月内部昇格させた。経歴から「憲法解釈変更には慎重」との見方もあったが、首相から辞令交付を受け、「およそ不可能という前提には立っていない」と表明、転換へかじを切った。
これによって、内閣法制局は「憲法の番人」から、政権の意向に沿う一官僚組織へと変貌した。内閣法制局はそれまで戦後の歴代内閣で憲法解釈の責任を担い、首相も容易には介入できない「独立性」を誇ってきた。
第一次安倍内閣時代、当時の宮崎礼壹内閣法制局長官が「政府が自由に憲法解釈を変更できる性質のものではない」と行使容認を迫る安倍氏に立ちふさがった経緯があり、安倍首相は野望実現のため長官人事に手をつけたのである。
審査記録残さず
内閣法制局が了承し、14年7月1日に強行した憲法解釈変更の閣議決定は、自衛権行使を「国民の権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認され、必要最小限度の範囲にとどまるべきだ」と規定した1972年の政府見解を論拠とする。当時は結論として、他国を防衛する集団的自衛権の行使は「憲法上許されない」と導いた。
しかし、閣議決定は安全保障環境の変化を言い、72年見解は個別的自衛権だけを認めているのではなく、日本の防衛に関係する集団的自衛権の行使も認めていると読み替えた。さらに砂川事件最高裁判決も引っ張り出して牽強付会の根拠付けまでした。
その後、横畠法制局は憲法解釈変更の審査に関する記録を残していないことが判明、いい加減さを露呈させている。
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