最高裁大法廷は12月16日、夫婦同姓(民法750条)、女性の再婚禁止期間(同733条)は違憲とする2つの訴訟の判断を示す。それぞれ憲法13条(個人の尊厳)、24条(両性の平等)に違反するという訴えに応える判決を期待する。
姓を変えたくないと思っても、主張を引っ込めざるをえない構造がある。その構造が問題なのだ。「通称使用ができるからいいではないか」と言う人がいるが、違う。この訴訟は氏名に関する人格権、人権侵害の問題であり、家族の在り方を論じているのではない。家族が多様になったのだから、別姓でもいいという問題でもない。
人は自分の氏名で生きる。氏名は人格的生存に不可欠な権利であり、個人尊重の基礎だ。結婚すると氏を変えなくてはならないのは人格権の侵害である。
しかし、国側は憲法で保障されていないと主張してきた。憲法に書いてなければ権利として保障されないということはない。これまでも憲法の文言を具体的に環境権や人格権という権利として生成し、保障してきた。裁判所は役割として立法を待たずして新しい権利、人々に必要な権利を認めてきた。それを認めるかどうか、最高裁大法廷が問われている。
強制された習俗
問われているのは個人の尊厳の問題。
家制度が廃止されて個人の権利保障になったが、氏・家族共同生活の慣行を尊重するために「習俗の継続」で夫婦同氏になったに過ぎない。そこでいう習俗は家制度の下で作られたもので、夫婦同氏、親子同氏は強制された習俗だ。
法の下の平等、形式平等、今の日本の社会状況の下で、女性が本当に自立することができているのか。96・2%が夫の氏を選んでいる。一見中立な規定も、実際は性差別的に働く、間接差別である。
差別だからこそ、女性差別撤廃条約は日本政府に選択的夫婦別姓の導入を含む法改正を勧告している。日本は1985年に女性差別撤廃条約を批准した。したがって、その条約に合わないことであれば、法改正する義務があるが、日本政府は怠っている。
1996年の民法改正要綱案でようやく導入されたが、それも放置している。これを不作為と言わずして何を不作為というのか。明らかな権利侵害・人格権の侵害だ。
世界が注目する
憲法24条2項は、家族や婚姻について個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなくてはならないと規定する。したがって国は、現行法が憲法に違反していないかどうか常に点検して確認する義務がある。
原告・弁護団が先月の大法廷弁論で主張したことは、「司法による救済」だ。立法に期待することができないから司法の判断をということだ。この裁判は日本だけでなく、世界からも注目されている。その注目に応える判決を期待する。
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