ヒロシマ・ナガサキから71年、高齢化する被爆者の課題の解決が急がれる。国家補償や原爆症認定、被爆体験者、在外被爆者、被爆二世・三世の問題等々。そして、ビキニ水爆実験の被爆者の問題だ。ビキニ被爆者は今年、提訴した。
1945年8月、広島と長崎に原爆が投下され、数十万人が被爆し、正確な死者数は未だ不明だ。多くの被爆者が放射能障害で亡くなっていき、苦しい息の下から原爆の廃絶を訴えたが、米国占領下で原爆報道は禁止され、「原爆をなくせ」の声はあまり知られていなかった。
政治決着で幕引き
原水禁運動が始まったきっかけは、54年3月1日の米国のビキニ環礁での水爆実験。この時、マグロ漁船・第五福竜丸に死の灰が降り、乗組員23人が急性放射線障害にかかる。
ビキニ近海で操業していた漁船の多くも被爆し、毎日陸揚げされた魚の放射能が測定され、次々に廃棄処分にされた。この様子が報道され、人々に大きなショックを与えた。原水爆禁止を求める署名運動が始まり、たちまち全国に広がっていった。
日米両政府は翌55年、米国が見舞金として200万ドル(当時のレートで7億2000万円)を支払うことで政治決着、第五福竜丸は「人類初の水爆死者」が出た船となった。だが、周辺では高知をはじめ日本中の漁船が操業していた。
水爆が炸裂して62年。放射能の影響に脅えてきた元漁船員らは今年2月、船員保険適用による「労災」を申請。5月には日本政府が周辺で操業していた漁船員らの被爆量検査に関する文書を2014年まで隠したのは違法として、高知県内外の元漁船員と遺族ら計45人が国を相手に1人当たり200万円の損害賠償を求める訴えを高知地裁に起こした。ビキニ水爆実験を巡る損害賠償訴訟は全国初だ。
嘘をつき続けたが
政府は、「第五福竜丸以外の資料はない」との答弁を繰り返してきた。その嘘を突き崩したのは、報道機関の米国立公文書館への取材だ。厚労省は14年に公開請求で資料を開示した。政府が54年3月?6月に延べ556隻(実数473隻)を調べた文書には、放射線が検出された船員の体の部位、尿や血液検査の結果が記されている。 厚労省は「健康被害が生じるレベルを下回る」とするが、岡山理科大の豊田新教授のグループは、元漁船員の歯から広島原爆の爆心地から1・6`の被爆線量に匹敵する最大319ミリシーベルトを検出した。被爆者認定され得る線量だ。
体調不良を訴えていた元漁船員は、自身の体にどんな悪影響が出たのかはっきりしないで今に至る。この状況こそ放射能の怖さであり、国には再調査が求められる。原告の元漁船員の多くは80代。17人は亡くなり、被害立証には困難も予想されるが、訴訟は「歴史の検証」という重い意味も持つ。
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