「福島原発事故の責任は原子炉を造ったメーカーにも責任があるのに免責されているのは不当で、賠償すべき」と訴えた裁判の判決が7月に東京地裁であった。訴えは棄却・却下されたが、「原発メーカー訴訟」の意義を改めて考えたい。
国内外の原告約3800人は、原発事故で原発メーカーの責任が免除される原賠法(原子力損害の賠償に関する法律)は、「原子力の恐怖から免れて生きる権利(ノーニュークス権)」という新しい人権を侵害する違憲無効な法律として、原発メーカーの賠償責任を問うことができると主張。被告側は「原子力の恐怖から免れて生きる権利は、単なる不安感だから法的保護に値しない」「被害は適切に賠償されている」などと争っていた。
判決は、「具体的な危険がある場合には原発稼働の差し止めを認めることができる」としつつも、「事故が発生した場合、人格権及び環境権として直ちに原発メーカーに直接完全な損害賠償請求する権利が発生すると解することはできない」として原告の主張を認めず、「ノーニュークス権」という人権があるかどうかという点についは何も判断を示さなかった。
責任を感じない
では、一審判決が根拠とした「原賠法」とはどういうものなのか。第1条は「被害者の保護を図り」とし、同時に「原子力事業の健全な発展に資することを目的とする」としているが、二律背反の内容がある。そして、「原子力事業者」の定義には原発メーカーは入っていない。
原発メーカーが原子力事業者ではないとすれば、一体何なのか。そこが原賠法の最もおかしなところだ。さらにおかしいのは、原子炉等の運転で生じた損害について製造物責任法は適用しない(第4条)
としていること。そして、7条は「一工場、または一事業所当たりの賠償額は1200億円」と書いてある。福島事故を見ても1200億円ではどうしようもないことは誰の目にも明らかだ。
裁判で被告の3社(GEジャパン、東芝、日立)が提出した答弁書は、「原賠法の責任集中制度の適用により、福島原発事故に関し原子力事業者でない被告が損害賠償の責任を負うことはない」ということを述べている。原賠法は原発メーカーが原子力事業者ではないとしているとしても、事故に対する責任を全く表明しない姿勢が許されていいものか。
モラルハザード
ところで、より安全な原子炉が開発されているが、逆に言えば、より安全でない原子炉が存在していたということだ。それに製造物責任法を適用しないとなれば、原発メーカーが造った機器に欠陥があっても、メーカーに製造物責任が及ばないということになり、事業者のモラルハザードを招く。
今こそ、原子力を推進してきた人たち、企業の社会的責任が厳しく問われなくてはならない。。
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