参議院選挙では、とうとう改憲勢力が3分の2を占めてしまった。野党共闘ができなければどうなっていただろう。危惧していたとはいえ衝撃は大きい。護憲を標榜する諸勢力は、根本的に考え直す時期にきているのではないだろうか。
ヒトラー張りの
「高度経済成長」とか「1億総中流」の世ならともかく、生存の不安定さと困窮が覆う日本で、なぜこんな結果になったのだろう。安倍晋三首相の演説は「今世紀最も高い水準の賃上げ3年連続」とか「気をつけよう甘い言葉と民進党」などデマゴギーばかり。一昔前の総理・総裁が持っていたような「信念」は全く感じさせない。
論争の土俵に乗らず、レトリックを駆使し、都合のいいことと攻撃的言辞だけを厚顔無恥に繰り返し言い張るのは、ヒトラーの手法だ。
メディアへの恫喝と支配で、そんな手法が通用する下準備を強行してきたとは言え、強烈な不満に満ちた現状で、この空疎な相手に負けたのはなぜか。人々に蔓延する政治不信を克服できない主体の側の問題として、誰もが自省しなければならないと思う。
まとまれたから
とは言え、1人区で野党候補が全て一本化でき、現職閣僚2人を落して11選挙区で勝利したのは画期的だ。戦争法反対運動の高揚と若者や市民の自主的な動きに助けられ、共産党の決断もあった。野党がまとまれなければ、想像を絶する恐ろしい結果となったであろう。民進党は解散・総選挙に向けても野党共闘路線を維持できそうだ。 しかし、かろうじて踏み止まったのは市民のお陰である。比例区や複数区では、政策がほぼ一致する政党もバラバラだった。改憲勢力の肥大化と暮らしの崩壊を前にして、これでいいのだろうか。
原発や消費税、辺野古新基地などの諸課題や「搦め手」から挑まれる憲法論争に民進党がどこまで対抗できるか、危惧を抱く人は多い。だが、政策は真っ当な共産党が伸び悩んだように、単独で民衆の声を代表するには無理がある。
共同の軸の党を
改憲を阻むには、9条を生かすのは無論のこと、憲法にある「自由及び権利」を実現するには「不断の努力」が不可欠だ。この「不断の努力」として、人間らしく生きる権利を求め、原発や戦争法などに対抗する全国的な運動を展開し、国会議員を送り出し、野党共同の中軸となる政党を、市民自身が作りだせないだろうか。社民党や「生活の党と山本太郎と仲間たち」などは、そのために尽力できないものだろうか。
自民党の改憲案は、女性週刊誌が「家族条項」を取り上げるなど、その目指す社会の恐ろしさを身近に感じさせている。若者や女性が確実に政治を我が物としつつある。この芽を育て、ヒトラー張りのデマゴギーに対抗していかないと、取り返しのつかないことになる
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