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2018.06.19
『6.29』慰霊の日
沖縄と出会い直すために
 沖縄は、戦後73年目の「慰霊の日」をかつてない緊迫感の中で迎える。辺野古での工事強行と南西諸島への自衛隊配備。一方で、「土人」発言はじめネットに蔓延する沖縄ヘイト。本土と沖縄、出会い直すことはできるのか。

 「6・23(ロクテンニイサン)」―この響きには、悔いの気持ちが混じる。20年前、初めて沖縄を訪れた。6月23日が「沖縄・慰霊の日」であることすら記憶していなかった。

平均的本土人
 1983年6月23日、本土では東北新幹線開通を祝う行事が行われていたことを知った。8月6日・9日・15日に、果たしてこの種の記念行事を行えるだろうか。私もまた、沖縄戦の記憶を切り捨てて生きてきた、平均的本土人のひとりではなかったか。
 友人の元高校教員Tさんの「沖縄」との出会いも強烈だ。沖縄の大学に進学したいという娘さんの希望を嬉しく受け止めた。ある日、予備校の講師から呼び出され、思いがけない言葉を聞く。「本当に沖縄でいいのですか? はっきり言って、沖縄の大学を出ても本土では使いものになりませんよ」。さらに同僚の女性教師からは「あんな危険な所に娘さんをひとりでやるなんて、親として失格」と叱責される。
 本土にある沖縄観、それは本土側の戦争観や民主主義意識の反映でもある。私たちは、本土の沖縄観とどれほど正面から向き合えてきただろうか。何が変わり、何が変わらなかったのか。 

今も不発弾や人骨
 住民4人に1人が亡くなった沖縄戦は、73年後の今も沖縄社会を規定する。
 那覇空港に降り立つと「不発弾の機内持込禁止」のポスターが迎える。今も、とりわけ本島中南部の工事現場から人身大の不発弾や人骨が出る。不発弾処理は月平均2回にもなる。周辺住民の一時避難、経費の一部負担など県民生活への影響も大きい。最終処理まで後70?80年かかるという。そして、今も家族の元に帰ることなく埋もれた数多の遺骨たち。
 市街地を歩くと、草が生い茂り放置された空き地が散在する。沖縄戦による戸籍の焼失や家族全員の戦死などによる所有者不明土地だ。地区計画やまちづくりで大きな障害となっている。一方で、米軍基地内には不明土地はない。基地の安定提供のため、不明の境界線は国の手で引き直されている。 

沖縄を捨て石にし 
 3月に急逝した新崎盛暉さんは、日米関係史から見た沖縄問題を概括する。 
 「アジア太平洋戦争の末期、天皇と本土を防衛するために沖縄を捨て石にしたこと、敗戦処理にあたって、本土の主権確保と天皇制存続のために、沖縄の施政権を放棄し米軍への基地提供を行ったこと、それが今日まで及んで、沖縄の政治的経済的構造を形づくっていること」。
 改めて「6・23」を本土が沖縄と出会い直す機としたい。