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2018.08.21
辺野古は新局面に
沖縄差別に抗す歴史的闘い
 今年の8月15日は、アジア・太平洋戦争が終結して73年目だった。日本はポツダム宣言を受諾、平和憲法を制定して民主主義を基調とした社会に転換した。だが、沖縄は未だに日本政府・本土側の「捨て石」政策が続いている。

 沖縄・名護市辺野古の新基地建設は新たな局面に入った。反対闘争は辺野古に新たな米軍基地を造らせない闘いであるとともに、政府の沖縄に対する歴史的な差別的政策を断ち切る闘いである。

 在日米軍の特権 太平洋戦争末期、軍部は「本土決戦」を唱え、無謀な戦争継続によって沖縄は「鉄の暴風」下、日本で唯一の地上戦が行われた。1945年3月26日から6月23日まで沖縄本島や周辺島嶼(とうしょ)、海域での犠牲者数は18万8136人にのぼる(沖縄県平和記念資料館データ)。

 日本の敗北で米軍は「銃剣とブルドーザー」により、沖縄県民の土地を暴力的に収容した。宜野湾市の中心部を不当占拠し、オスプレイが我が物顔に旋回する海兵隊の普天間飛行場はその象徴だ。

 52年4月のサンフランシスコ講和条約の発効により沖縄は本土から分離され、憲法も適用されない米国の施政権下に置かれた。さらに日米安保条約第6条に基づき、60年に国会承認が強行された「日米地位協定」の28の条文によって在日米軍は特権的地位が保障されている。

 72年、沖縄は「核抜き本土並み」で日本に返還された。返還時の全国の米軍専用施設に対する沖縄県の比率は58・7%だったが、今は70・6%だ。また、沖縄県の全国比のデータでは、県民所得、雇用、進学率など本土との格差は著しい。

 沖縄は歴史的に本土側に「捨て石」にされ、差別的な状態・格差は埋められていない。そうした中で沖縄県民は政府や米軍に対し、歴史的に非暴力の抵抗闘争を続けてきた。

 50年代の米軍の土地強制収容に対する抵抗闘争をはじめ、95年9月の米兵による少女暴行事件で県民の怒りに火がつき、沖縄全土の闘いとなった。米軍・軍属の犯罪や米軍機の事故、騒音被害や環境破壊への「非暴力・諦めない」闘いとして続いている。米軍の辺野古新基地建設は、保守・革新を問わず全沖縄の問題として闘われてきている。 

翁長さんの言葉 
 その沖縄の思いを体現してきた翁長雄志沖縄知事が、8月8日に死去した。深く哀悼の意を表するとともに、翁長さんの次の言葉を噛みしめ、沖縄県民と結んだ本土側の闘争を強めよう。 
 「沖縄に経済援助なんかいらない―中略―そのかわり、基地は返して下さい。国土の面積0・6%の沖縄で在日米軍基地の74%を引き受ける必要は、さらさらない。いったい沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか」(2011年11月、那覇市長時代の発言)。