伊方原発3号機の再稼働を広島高裁が容認した翌日(9月26日)、原子力規制委は稼働40年を超えようとしている被災原発の東海第二に「適合」のお墨付きを与えた。地震大国日本で、さらに原発事故によって人々の幸せを奪おうというのか。
政権は再稼働強行
震度7を記録し、全道ブラックアウトを起こした北海道胆振東部地震。しかし、震源地はこれまで活断層があると認識されていなかった。地表に出ていれば別だが、活断層はすべて把握されているわけではない。熊本地震でも表層が阿蘇噴火の噴出物に覆われ、余震の震源調査で断層が予想を超えて長いことがわかった。
プレート境界に位置し、過去の火山の噴火物に覆われている日本列島で、規制委や裁判所が安全と判断できるはずがない。しかし、平然と新規制基準「適合」とか、阿蘇山の大噴火は根拠がないと言い切り、原発再稼働を進める。すでに全国で4原発7基が稼働し、1基が定期点検中。そこに新基準適合4原発5基が控えている。すべて安倍政権下で再稼働が進められている。
新たな「安全神話」
そのため「新規制基準」という新たな安全神話が作られ、避難住民の避難解除や補償中止、さらには放射性土壌の利用など、福島第一事故を記憶の彼方に消し去ろうとしている。
なぜか。電力資本とそれに連なる財界と政界・官界の権益確保はいうまでもない。そして改憲で自衛隊を世界の戦争に繰り出し、大国として外交戦略に使う。その最大の武器として核兵器を自ら持とうとする衝動があるからではないか。
そうでなければ核廃棄物の処理もできない上、経済性もない原発にこだわる「根拠」はない。核兵器保持意欲を秘めているからこそ、国連の核兵器禁止条約を邪魔者扱いしているとしか思えない。
古くから「バターか大砲か」の比喩が使われる。バターは福祉であり、大砲はいうまでもなく軍備である。安倍政権は財政運営で福祉を削る一方で、軍備増強に力を注ぐ、「バターより大砲」政権だ。
また、この政権は大企業の利益が最大になるように経済環境を整え、労働者や中小企業者には自己責任を迫る貧富拡大路線を美辞麗句の裏で進める。しかし自民党総裁選の党員票で明らかになったように、自民党内ですら安倍政権のおかしさを何とかしたいという機運がある。
国民の不断の努力
憲法に言う民主主義は、「強力で素晴らしいリーダー」を求めているものではない。おかしなリーダーの出現を許さない制度である。
それを担保するのは、憲法第12条にある「国民の不断の努力」しかない。主権者の民衆の意思と力に係る。安倍改憲はその真逆の動きだ。
戦争や原発のない、安心して生活できる社会をつくるには、安倍政権を許していてはならない。未来への責任はそこから始まる。