新年おめでとうございます。 憲法改悪に突き進む政治と対峙し、不安のない社会を求める一年のスタートです。
どうすれば今の政治を変える力を広げることができるのか。これでもかとばかりに進む理不尽な事態の連続に自問することも多いのですが、辺野古新基地建設反対を続ける沖縄の闘いは「諦めない」こと、一人ひとりが基地のない社会をスローガンではなく生活の中に求めてきたことの強さを再確認させてくれました。
「人として自分を大切に生きる」とは具体的にどういうことなのか、今一度私たち自身が考えるときです。
昨年、世界中で女性たちが「#Me Tоо、私も、もう泣き寝入りはしない」と声を上げました。日本では官僚トップのセクシャルハラスメントに対し、「名乗り出てこい」と被害者に追い打ちをかけた財務相をはじめ、政府の対応は人間の尊厳を守るものではありませんでした。
権力を持つものが、何を言っても聞く耳を持たず、理不尽を笑って押し通す姿が、あからさまでした。この基本的な政権の姿勢が、都合の悪いことは記録破棄、公文書改ざんで隠ぺい、法改悪や恣意的な予算の使い方につながり、トップ企業のデータ改ざん、安全性や社会的正義より利益優先の経営につながってきたといっても過言ではないでしょう。
昨年夏発行の『男女平等はどこまで進んだか―女性差別撤廃条約から考える』と題したジュニア新書。国際女性年から女性差別撤廃条約へと続いた運動を、職場で差別的な労働条件の改善要求と合わせ取り組んだ頃を思い出し、手に取りました。ジュニアにも理解しやすいよう条約発効、日本の批准に至る内外の運動、その中で人々の心に残された言葉などが紹介されています。少し長いですが引用します。
「人権とは、どこからはじまるのでしょう。じつは、家の周囲など、小さな場所からなのです。あまりにも身近すぎて、世界地図などにはのっていません。ご近所、通っている学校、働いている工場や農場、会社などの個人個人の世界こそ、はじまりの場なのです。そんな場所で、男性、女性、子どもが、差別なく、おなじように、正義、機会の均等、尊厳を求めるべきなのです。これらの権利が、そこで無意味なら、どこにいっても無意味です」(エリノア・ルーズベルト)
憲法を生かす活動に取り組んできた私たちですが、スローガンに終わることなく互いに「私は私として生きることができる」「私は大切にされ生きていける」ための具体的な社会の制度を作り上げていかねばなりません。憲法がこんなに自分が人として自由に、平和に生きられるよう、政権に義務を課しているものだと理解できたなら、安倍自民党・憲法改悪に対する、それは大きな力になるでしょう。
春の統一自治体選挙、夏の参議院選挙では、安保法制に危機感を持って反対の声を上げて以来、共闘してきた多くの皆さんとともに政治を変えるため、身近な、でも決して譲れない権利を求め勝利していきましょう。