1936年2月26日、陸軍皇道派によるクーデターが起き、首都・東京に戒厳令がしかれた。制圧されたとは言え、以降、社会主義者だけでなく自由主義者も弾圧され、無産政党も労働組合も大政翼賛会と産業報国会に吸収されていった。
今日、同じ形態でファシズムが制圧するとは言えない。しかし、世界恐慌がファシズムを生み、リーマン・ショック以降の資本主義の危機が右翼ポピュリズムを生んだのであって、同質性がある。
「革新」の名で浸透
2・26事件を忘れるわけにいかない。世界恐慌と大凶作で労働者と農民が苦しめられる一方で、資本家は軍需で巨富を得ていた。農民の疲弊は深刻で、小作農の子弟が多かった軍隊内には貧富格差への不満が充満していた。そこに財閥及びそれと癒着した政府要人への憎しみを煽るファシズムは、「革新」の名で容易に浸透していった。
首相官邸、警視庁を襲撃し高橋是清蔵相ら要人を殺傷した皇道派将校による2・26クーデターはこうした流れの一頂点だった。だが、それは一つの山に過ぎない。政府と軍部はこれを鎮圧したが、財閥と「革新官僚」を基盤とする本格的なファシズム体制はそれから完成する。
翌年7月7日の盧溝橋事件を契機に中国への全面侵略を開始、12月には人民戦線事件で合法左翼・労働組合活動家らを根こそぎ検挙、自由主義者も筆を折られ、45年8月15日まで暗黒時代となる。
ドイツのファシズムのように、既成資本家政権を独自の力で屈服させたのではなく、既成権力が急進ファッショを統合したのである。
もう一つの日本的特徴は、無産政党運動が有効な反ファッショ運動を展開しえず、むしろ主流がファッショに同調したことである。
今日どうだろうか
実は2・26事件の直前に実施された総選挙で無産政党は21 議席と4倍増に躍進していた。また事件翌年4月の総選挙では38議席へ躍進した。けれども主流は財閥や既成政党への不満を煽る「革新」派ファッショに迎合し、2・26事件に対しては自由主義者が糾弾したのに対し、「軽々なる批判を抑制」(社会大衆党声明)した。
だから、37年中国侵略戦争開始の後、名実ともに急速に国家社会主義的政党に変貌した。
さて今日どうだろう。欧州のような右翼ポピュリズムは伸長してはいない。しかし、日本会議などの右翼勢力を統合して安倍長期政権となっている。欧州のような反緊縮左翼の活気もない。格差と貧困への不安は偽バラマキに流され、野党は大胆な所得再分配の対抗案を打ち出せていない。
憲法の社会権を活かせないのは、民主主義の精神の欠如がなお克服されていないことを物語っている。安倍総裁の任期をにらみ新スターを担いだ政治的「2・26」が演じれられないとも限らない。