安倍・自公政権は昨年末の臨時国会で、事実上の戦争法である国家安全保障会議設置法や特定秘密保護法を強行。次期通常国会では集団的自衛権や安全保障措置と合わせ、自民党改憲草案と瓜二つの「国家安全保障基本法案」の提出をもくろむなど、憲法9条改悪への道をひた走る。
新社会党副委員長・政策委員長の加藤晋介弁護士が12月14日に関東ブロック党学校で行った講演「9条と労働法制をめぐる情勢」から「9条」を巡る部分(要旨)を連載する。
憲法9条は、どのように成立したか。戦争も、近代以前と以後では意味が違う。近代以前の戦争、関ヶ原の合戦などに象徴される戦争は、武士、西洋では騎士が戦っているだけで、庶民には関係ない。
戦争が変わってくるのは、市民革命で国民国家ができてから。ヨーロッパでは1700年代、日本では明治維新後から様相が変わってくる。国民は徴兵の義務が課せられ、庶民は戦争と無関係ではなくなる。「命を国家に捧げなくてはならない」という立場に国民みんなが置かれる。
近代、とくに1850年代に起きたクリミヤ戦争以降、武器が非常に発達してくる。コンクリートで固められた要塞から砲弾が飛んでくる。第一次大戦では戦車が出てくる。つまり、大量殺戮の総力戦が始まる。
戦争を制するのは銃後で弾薬、糧食を供給する力。だから、補給線を叩く。広島、長崎に原爆が落されたのは長崎に造船所、広島には陸軍があったから。
そのため戦争にハドメをかけなければという考えが第一次大戦あたりから起きてきた。それまでの世界は弱肉強食が当たり前。政策としての戦争は許される、侵略も国家としての政策という考え方が第一次大戦まではまかり通っていた。
ヨーロッパでは第一次大戦後、少なくとも侵略は正当化されなくなり、国際連盟をつくったり、不戦条約、侵略目的の戦争はやりませんとなった。ところが、不幸なことに大恐慌を経て第二次大戦が始まり、最後には核兵器まで使われた。世界で4000万とも5000万ともいわれる人が死傷し、このままでは人類は危機にいたると、パシフィズム(pacifism=平和主義)が台頭してくる。戦力自体持たない、絶対的なパシフィズムが世界を覆う。パシフィズムを背後に持ちつつ成立したのが国際連合だ。
日本国憲法「9条」は第二次大戦の総括として、軍隊を持たず、戦争をしない憲法を日本に与えようとなったもの。そこには、二度の大戦を経験した人類の英知が入っていた。
ただ、9条にはアメリカの意図がある。我々は「憲法を守る」と言うが、第1章は「天皇」、第2章は「9条」、第3章で初めて「人権」だ。国民が主権者なら、人権から始まらなければおかしい。
まず天皇があり、その次に軍隊に関する章がある。この章建ては大日本帝国憲法にならったもの。日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続きを経たものだから、それが受け継がれていると言えばそれまでだ。
ただ、間違いなく、「天皇がいる限りこの国は共産主義にはならない」というアメリカの意図がある。そして、太平洋の向う側にアメリカに逆らう軍事国家はつくらせない、そういう思惑もある。
日本は、国土が焦土と化し、二度と戦争はいやだという中で9条は成立した。9条は、そうした生い立ちからその後、数奇な運命をたどる。(つづく)
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