アメリカは、日本を占領したときにかなり本気で民主化しようとした。日本国憲法の草案作りはGHQの民政局が司った。そして、農地改革、財閥解体などを断行した。
「戦後を支えた2つの9条」というのがある。憲法9条と、持株会社を禁止した独占禁止法9条だ。独禁法9条は1997年につぶされ、持株会社が復活した。なぜ、持株会社がまずいか、国民がコントロールできないからだ。ホールディング会社は超巨大になる。これをコントロールできる個人株主など考えられない。
アメリカは経済を民主化し、職場は労働組合を作ることで民主化させようとした。そして、旧支配層に牛耳らせないために戦犯で排除した。制度を民主化し、古い連中を叩き出し、憲法のグランドデザインのもとにこの国を民主化するのが当初の目論見だった。
ところが、1947年頃から様相が変わってくる。いわゆる冷戦の激化。鉄のカーテンが下り、社会主義化するのを何としても阻止しなくてはならない。48年、49年になると北朝鮮が成立、中国で毛沢東政権、ベトナムではホーチミンの北ベトナムができる。
当時、アメリカが恐れたのはドミノ理論で世界に社会主義国が林立して、社会主義が世界を覆い尽くすのではないかということ。そこで何をしたか。赤になるくらいだったら白がいい。岸信介や児玉誉士夫らの戦犯を解除して旧来の地位を持たせようとした。
その集大成は朝鮮戦争が火を吹いたことによって、アメリカは9条を与えたことを後悔し始める。隣で火を吹いているのに日本は丸腰、再軍備させないなどというのはダメだということになる。
そこで旧軍の連中をかき集めて最初は警察予備隊、次は保安隊、その次は自衛隊という名前で軍隊を復活させる。冷戦の前にはパシフィズム(絶対平和主義)、日本だけが「戦争しません」などとは言わせない。日本は後方基地として武器、弾薬、食料の供給基地にした。
朝鮮戦争を通じて9条は変質をとげる。そして、朝鮮戦争の火が消えたとき、いつまでも日本を占領しておくわけにもいくまいということで、1952年、単独講和か全面講和か、GHQが日本から撤退する。
戦犯から戻ってきた連中が、「夢よもう一度」と。天皇制は日本資本主義をつくってきた巨大なエンジンだ。日本の財閥にとって天皇制は、後発国・日本がアメリカやイギリス、フランスを追い掛けるエンジン部分だった。だから、1952年の単独講和をやった後に「夢よもう一度。天皇制を復活する」。
だから、自民党の綱領に「改憲」が入っている。これでは改憲されてしまうということで、総評がバックアップして左右に分かれていた社会党が改憲阻止という形で合同する。それが「55年体制」。だから、日本社会党が3分の1をとることで明文改憲できなくなった。「55年体制」で改憲にロックがかかった。これが第一回戦。
第二回戦は三池と安保。アメリカがこの国に駐留して軍隊を置き、その下に自衛隊を置いている以上、憲法9条の理想は実現しない。だから、60年に安保を廃棄せよと闘った。60年安保は、9条を元の形に戻す闘争だったが、負けた。9条の理想に戻そうとしたが、できなかった。
だからと言って、3分の1勢力を社会党・総評が握っている以上、明文改憲はできない。そういうなか、軽軍備の下で日本の高度成長が始まった。9条を逆手にとって軍備に金をつかわず、その金を経済成長に使う。そして、解釈改憲で一定程度アメリカに仕えていくということになる。
|