安倍政権が昨年末、成立を強行した「特定秘密保護法」は国内ばかりか、国連人権機関関係者や海外メディアが知る権利、取材・報道の自由などを侵害すると批判している。
米国国家安全保障会議(NSC)の元高官で、「ツワネ原則」の策定にも参加した政治学者モートン・ハルペリン氏は、秘密保護法の法案段階から「世界の基本原則では、政府が持つ情報はその国の市民のものだ。安全保障など特別の目的で情報の秘匿は可能だが、その範囲は非常に狭く、精密な限定をかけなくてはならない」などと厳しく批判した。
そのハルペリン氏を招いて5月上旬、国会など東京や名古屋で国際シンポジウムが開かれた。秘密保護法の廃止を廃止を求める国際シンポジウム実行委員会が主催した9日の東京での講演「秘密保護法と国際人権基準(ツワネ原則)」の要旨を連載する。
この法律(特定秘密保護法)がいかに間違っているか話したい。最初に民主社会の課題について。1つは、政府が情報の公開および法的に認められている情報開示に対する刑事罰が非常に重要な点だ。とくに秘密保護法を作ろうという政府は、もしその政府が民主的な政府であるなら、広範な人々と協議しなければならない。
まず野党の国会議員、それから市民社会と協議しなくてはならない。それと、国際的な専門家と話し合うことによって各国で行われている秘密法が、どれが一番よい行動基準になっているかということを知る必要がある。
この意味で、秘密保護法について日本政府は責任に欠ける。まず国会での審議、市民社会との協議、そして国際的な専門化との協議が抜けているということで失敗している。この立法に当たって2つの例を出したい。
数年前、南アフリカで秘密法を作る必要があった。ちょうど「ツワネ原則」について話していた。だから南アの場合は多くの人々と話し合うことに数年かけることになった。でき上がった法律は十分なものではなかったが、南ア政府は市民社会と十分な協議を続けたという経験は残った。
もうひとつは、米国で数年前に情報職員の身分を明かしてはならないという簡単な法律ができたが、作るのに数年かかった。議会との協議、市民社会との協議が続けられ、公聴会も何度も行われた。私自身もこの法律が通過する間に6回、意見を述べている。
そして、この法律は米国の情報機関の人々にとっても、市民社会にとっても、両方満足させるものになった。
|