今年で9年目となる「平和の灯を!ヤスクニの闇へ2014キャンドル行動」が8月9日、東京都内で取り組まれた。デモに先立つシンポジウムでは、4人のパネリストがそれぞれの立場から要旨次の発言をした。(「行動」の記事は前号)
追悼でなく戦没者顕彰
山田昭次・立教大名誉教授
サンフランシスコ講和条約が発効直後の1952年5月2日、最初の政府主催の全国戦没者追悼式が開かれた。追悼式は無宗教だったので首相の靖国公式参拝ほどには批判されないで来た。
しかし、この追悼式で行われたのは「追悼」ではなく、戦死者を、生命を祖国に捧げた殉国者として顕彰するものだった。そのことは最初の追悼式で述べられた吉田茂首相や衆参議長、最高裁長官の式辞に現れていた。
63年に池田内閣によって8月15日に開かれるようになり、64年には日本遺族会幹部の圧力で靖国神社で開かれたが、翌年から日本武道館で開かれるようになって今日に至っている。池田内閣は、戦死軍人・軍属に対する叙位叙勲も復活して戦死者の顕彰に努めた。
家族の戦死を深く悲しむ遺族の多くは、政府が戦没者を殉国者として顕彰することで戦死者の名誉が回復されたと喜び、再び国家に回収されていった。
靖国参拝し近隣を挑発
パウエル・シュナイス牧師(ドイツ)
私が情報を得る『南ドイツ新聞』などの大手全国紙や地方紙、週刊誌の見方は、安倍首相が靖国参拝で近隣諸国を挑発したと一致している。何と言っても、靖国神社では日本軍人の犠牲、日本人の受難だけが考えられ、何百万もの近隣諸国の死者は追悼されない。されてもついでに過ぎない。
さらに日本をこの大戦争に誘い、大々的な殺戮と非人道的行為に導き、その後東京裁判で戦争犯罪人として断罪された人物らも顕彰されている。安倍首相の靖国参拝は、日本の隣人を侮辱する「計算された挑発」と、より正確に記されている。
どの報道でも、靖国神社は宗教的な施設ではなく、戦死者を想起するだけでなく、戦争奨励を助ける「戦争神社」だ。それで、安倍首相の態度は、右翼的と書かれる。彼はナショナリズムの熱狂に包まれた「冷徹な打算家」で、戦前の軍国日本へのノスタルジーに生きているというのだ。
国立施設で問題解決を
内田雅敏弁護士
安倍首相の靖国参拝を中国、韓国らが批判するのは、A級戦犯合祀にふさわしい靖国神社の歴史観にある。分祀すれば問題が解決するというものではない。アジア・太平洋戦争は侵略戦争ではなく、植民地解放の「聖戦」とする歴史観は、村山首相談話に象徴される国際的合意と真逆にある。
戦没者追悼が、「聖戦」という特異な歴史観に立つ靖国神社で行われるから問題が生じる。なぜ、戦没者追悼は靖国神社なのか。戦死者独占の「虚構」にこそ靖国問題の本質がある。靖国問題の解決の第一歩は、国立追悼施設建設にある。
今からでも遅くない。すべての戦没者を追悼する無宗教の国立追悼施設を設けるべきだ。そこでは戦没者に感謝したり、称えたりしてはならない。称えた瞬間に政治利用が始まる。ひたすら追悼し、再び戦没者を出さない誓いがなされなければならない。
対米従属と靖国の矛盾
ダグラス・ラミス沖縄国際大教員(アメリカ)
日本の保守派の軍国主義時代のロマン(靖国イズム)と、その米国に対する卑屈な従属との矛盾をどう考えればいいだろうか。また、米国の靖国イズムに対する支持と批判という矛盾をどう考えればいいだろうか。
米政府は、日本を再軍備させ、軍事力を米国の世界戦略に組み込もうとしている。しかし、日本の保守派は、再軍備イコール靖国イズムの復活。靖国イズムには、東京裁判間違いなど米国の体制は飲めないところがある。したがって、国と国の間でちょうどいいバランスが取りにくい。
ところが、米政府の最終目的が日本を世界戦略に組み込むことであるのに対し、安倍政権は靖国イズムの復活が一番なのかもしれない。自民党の憲法改正草案は、そう読み取れる。この大きな矛盾に基づいた同盟はもろいはずだ。日米政府には絶対に触れないタブーなテーマがある。その一つは真珠湾攻撃だ。
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