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 2014.09.09
平和の灯を!
追悼施設を巡る議論


 「平和の灯を!ヤスクニの闇へ 2014キャンドル行動」(8月9日)のシンポジウムで、内田雅俊弁護士が「靖国問題の解決の第一歩は、国立追悼施設の建設」とし、「すべての戦没者を追悼する無宗教の施設を」と提唱、活発な議論があった。
 

 内田弁護士の「提起」に対し、会場から「なぜ国立なのか。内田さんが理事長になって追悼の団体をつくって、宗教色のないものを造ったらどうか。国が造ものの危険性はご存知のはず」との質問。
 これに対し、内田弁護士は「ご指摘の通り。国立ということにこだわっていない。追悼する施設、それが個人的なものでなく、国民みんなが、無念・非業の死を遂げた人々に思いを馳せる施設。沖縄の平和の礎は、その一つだと思う」と述べた。
 さらに会場から「内田提案に大賛成だが、あの安倍(首相)がやるか」という疑問が提起された。
 これに対し、内田弁護士は「今の安倍政権の下で造られたら非常に危険だ。とくに集団的自衛権行使容認ということで、自衛隊員の死が現実のものとして出てくる可能性があるなかで、逆の意味で国立追悼施設が推進される危険性がある。そういう点では非常に悩ましい問題があるが、安倍政権がずっと続くわけではないので、日本社会が変わっていく中で、国立を冠にかぶせなくてもいいが、そういう追悼施設は必要ではないか」と述べた。



 「キャンドル行動」の提起者の一人である立命館大特任教授の徐勝(ソ・スン)さんは、「内田提案」に対して次のように発言した。
 私と内田さんの共通点は、靖国問題は憲法20条(政教分離)の問題ではない、平和の問題、歴史認識の問題、平和的生存権の問題、靖国神社は宗教施設ではなくて軍事施設という点。追悼施設の問題は心の問題、慰霊をしたいという心をどうするのかという問題は大変難しいが、いずれにしてもこれまでいろんなことを見ていると、追悼施設は国立ということがいいのか、検討しなくてはならない。
 死者の追悼というのは、家族、関係者の問題ということから始まって、それから欲望を膨らませることについては慎重にならなくてはならない。どういうことかと言うと、韓国ではかつて光州事件とか済州島4・3事件とか、国家暴力の犠牲者たちについていろいろ平和記念公園だとか、国立施設を造った。


 国立墓地ができると、国家権力によって犠牲にされた者が「回収」されることが歴然としている。そこで特に問題になるのは、日本ではかつての恩給制度、戦傷病没者補償法があるが、ここでお金の問題が関わってくる。それも非常に不公平な形で、将軍だった人はとてつもない高いお金をもらう、兵隊は低いお金。戦争の犠牲者である一般の市民はほとんど補償されないなかで軍人は優先されて補償されてきた。それが国立の追悼施設と関連している。
 韓国の場合もそうだが、そういう問題を考えないといけないし、A級戦犯だけでなく、韓国でも台湾でも、追悼施設には民衆を虐殺した連中も一緒に入っている。日本に国立施設ができた場合、特にそういう問題がある。
 もう一つは、追悼慰霊施設を造るが、犠牲になったアジアの人々についてはどうするのかという問題もある。
 結論としては、平和のための記念碑だとか、そういうものであればいいのではないか。死んだ人には罪はない。全ての魂を慰める。国でやる必要はないというのが私の意見で、内田さんと意見が違うのはこの点だ。


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