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 2015.06.09
呉東 正彦弁護士講演 集団的自衛権と安保関連法案〈中〉
「私は縛られません」は憲法違反


 国家で一番問題なのは何か。戦争だ。
 明治政府ができてからの日本は侵略戦争を続けてきた。そして、戦争するためには国民の自由などは二の次、「国民一人ひとりはお国のためにある」ということを明治憲法は定めていた。戦前の日本は国のための個人であって、個人のための国家ではなかった。
 侵略によって多くの海外の人々を殺したと同時に、多くの日本人も戦争の犠牲になった。また、戦争をするために、治安維持法などが自由を奪ってきた。軍都の横須賀の街では港を見ることもできなかった。港を見ていたら憲兵がやってきて逮捕された。


 人権の一番の敵は戦争だ。そして、戦争をしようとする国自体が私たちの自由を奪うものだという反省の中から憲法9条を定めた。
 つまり、私たち一人ひとりが大切にされることと憲法9条が禁止していることは、コインの裏表の関係にある。逆に言えば、戦争をする国は決して私たちを幸せにしないという過去の歴史の中から憲法9条が戦争を禁止し、武力を持たず、交戦権を放棄することをうたった。
 そこで、今は自衛隊がある。このことをどう考えたらいいか。忘れてはいけないことは自衛隊はいるが、憲法9条が自衛隊に嵌(は)めている枠、この枠が安倍首相にとって一番邪魔だ。これを外すために色々やろうとしている。
 自衛隊はあるが、9条があるから武力を行使できるのは日本が攻められた時だけ。「助っ人のために使うことはできない」と歴代の内閣は言ってきた。アメリカが始めた戦争を手伝うようなことはできない。そして、日本を守るためにあるわけだから、海外に行って戦争をすることはできないという憲法解釈をしてきた。
 これまでは、武力行使でなければできるという名目で、周辺事態なら「後方支援」はできると言ってきた。もう一つは、イラク特措法などのようにその都度、特別措置法を制定して武力行使以外の「できること」を決めてきた。また、武力行使ではないPKO活動はできるとしてきた。
 もう一つ重要なことは憲法があるから、日本が戦争状態になることはない、いつでも横須賀の海を見ていていい、今日のこのような集会を開くこともできる、通信の自由もある。だが、武力行使事態になると人権も制限できることが目論まれている。人権が制限される事態が広がることを忘れてはいけない。
 安倍首相が今やろうとしていることの始まりは去年7月、集団的自衛権行使容認の閣議決定をしたことだ。このこと自体が間違っている。憲法で縛られているライオンが、「私は縛られませんよ」と言ってはいけない。それ自体が憲法違反だ。かかっている重要な縛りをあいまいにしようとしている。


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