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 2016.12.20
スノーデンの警告<11>
「プライバシーは人権の源」


 ジャーナリスト小笠原みどりさん講演<11>


 全てを標的にするという監視を理解するときに、全部が標的になっているからといって結果が全て平等ということはない。「赤信号、皆で渡れば怖くない」というように皆に災いが降りかかってくれば、「皆苦労しているんだから、まぁいいか」と思いがちだが、そうではない。

 監視の結果は差別的であり、隣の人は助かって私だけ最悪の目に遭うということもあるし、世界的な規模で見れば圧倒的な現在の監視の被害者になっているのは、旧植民地諸国、南の国々、あるいは難民の人たち、移民の人たち、国内の少数者たちだ。
 これは監視の歴史を紐解くと、NSAはテクノロジーの力があまりにも凄くて、歴史的背景があまり見えてこないが、一枚めくると、現在につながる監視の技術は植民地では大いに使われ、そこから開発されてきた。戦争や帝国主義時代の支配、宗主国と植民地の関係の中から指紋というテクノロジーも生まれてきている。
 こうしたテクノロジーの背景を見ていくと、現在も中東から戦火を逃れてたくさんの人々が難民となったときに、何も自分を証明できるものがない、国連の公的援助を受け取るためだけでも、光彩や指紋、顔写真といった身体情報を提供しなくてはならない。否が応でも取られる。  それで、どこに行っても漏らさず詮索される。そういう意味では、監視のカテゴリーは、男か女か、どこの出身か、学歴、病歴、職歴、こういうものは非常に人種主義的ものであるし、なおかつ差別的な科学と技術に元をたどっていくと依存しているので、それが決して平等な結果にはならないし、相殺されることはないということは指摘しておきたい。 

 ◇講演後のシンポジウムでの小笠原発言◇

 「隠すものがなければ恐れることはない」という言い方は10年前にはなかったように思うが、遡っていくとナチスの言説の中に、「監視されても恐れることがなければ気にすることはない」というロジックがナチス崩壊後も残っていて、それに対するスノーデンの言葉は考えられた明確なものだった。
 「プライバシーは何かを隠すためではなく、守るためにある。何を守るためか、それは個である」と言っている。私たち一人ひとりがかけがえのない存在であり、あるがままに生きることができる社会。「社会的な個人を守るためにプライバシーは絶対的に必要なもので、なおかつ人権の源である」と説明していた。