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 2017.03.14
韓国「少女像」問題と安倍内閣の歴史認識・軍事大国化・右傾化批判(下)
軍事大国化志向と右傾化


                  女性史研究家 鈴木裕子       
 過去の歴史認識が欠落

 現在も帰任しない大使 「少女像」撤去を強く要求


 強行突破で悪法を成立〜軍事大国化への道を志向


 安倍内閣は、すでに制定の戦争法制(安全関連保障法)はじめ国家秘密法、いわゆる共謀罪などを強行に制定させようとしている。昨年の参院選挙で自民党が圧勝したとはいえ、実際の得票率は低かった。選挙法がそもそも民意を反映していない代物である。
 基本的人権の大きな柱である思想・表現の自由は風前の灯ともいえる。法政大教授の山口二郎氏は、南スーダンに派遣された自衛隊の武力行使について「積極的平和主義」に駆け付けならぬ「かこつけ警護」とし、地域活性化にかこつけたカジノ・賭博の合法化、極め付きは共謀罪で、オリンピックにかこつけて戦前の治安維持法と変わらぬ悪法をおしつけようとしているという(「かこつけ総理」『東京新聞』17年1月15日付)。
 わたくしも同感である。 敗戦後の日本国憲法のもとで獲得された平和主義(不戦)・主権在民・基本的人権の尊重が、安倍内閣のこの間の施策によって、危機にさらされている。心ある人びとはこれを憂いている。庶民の暮らしは苦しく、高齢者、障がい者、シングルマザーの家庭等は、貧困化し、生存権さえ侵されかねない状況である。社会保障費は切り取られる一方、軍事費は膨らむばかりである。大学を金銭で釣り、軍学共同(大学の軍事協力)への道も進みつつある。


 反動化・右傾化と歴史に対する無責任が露呈


 こうしたなかで、「明治維新」150年を機に、「戦前回帰」への誘導ともいえる風潮が日本会議(神社本庁を主に右派的団体・政治家たちが結集)などが音頭をとって広めようとしている。
 ごく最近になり問題化している日本会議大阪支部の役員が理事長を務める、大阪の私立幼稚園が戦前の「教育勅語」を幼児たちに暗唱させ、「皇国臣民化」教育を行っている。その幼稚園を経営する森友学園が昨今、穂の國記念小学院で、国有地を安価で払い下げていたが、安倍首相の妻の昭恵氏が名誉校長をしていた(ホームページから削除)。
 「教育勅語」と言い「瑞穂の國」と言い、復古への回帰が明瞭である。「教育」を通しての「臣下」(サブジェクト)づくりの試みである。 彼らの歴史認識は、日清・日露の戦争は、日本帝国の躍進であり台湾や朝鮮を植民地としたのは近代化に「遅れた」地域に善政をしいたという認識であり、植民地支配への責任感は全くといって存しない。現在の文化の日(かつての「明治節」)に代わり明治天皇を称える「明治の日」を制定し、とくに稲田朋美防衛相が熱意を傾けていることにも戦争の影が強く投影されている(『東京新聞』(1月12日付)といえる。  憲法24条を改悪し、現行の両性の「合意のみ」の婚姻を、「のみ」を削除し、個人の尊厳、両性の本質的平等から、「家族の相互扶助」を前面に打ち出し、社会的・公的福祉の色合いを薄め、戦前の「家族主義国家」回帰を強く滲ませている。これも彼らの積年の宿願である。


 少女像撤去要求し駐韓大使らを帰国させる


 安倍首相は、15年末の「慰安婦」日韓合意について、16年10月、「謝罪」の手紙を被害者に渡す気持ちはないと明言。彼の認識としては、10億円の拠出金で最終的的かつ不可逆的に済んでいるという。しかも10億円の供出は、いわゆる「少女像」(平和の碑)の撤去を条件としている。今年に入り、駐韓日本大使や在釜山総領事を帰国させた。それにかこつけて、安倍首相は、「私たちは誠意」ある対応をしている。韓国側もそうした努力(少女像撤去)をしてくれる旨の発言を行った(『東京新聞』1月11日付)。
 2月17 日、日韓外相会談が開かれ、岸田文雄外相も「少女像」撤去を強く要求、ここにも過去の歴史に対する認識が欠落している。今に至るも大使たちは帰任させず、日韓関係の改善への努力はみられない。


 安倍内閣のポピュリズム・ナショナリズム政治〜米国大統領トランプとよく似た手法


 野党の国会質問に対する安倍首相はじめ、閣僚の答弁は、曖昧不明瞭で、安倍政治の奢りを指摘せざるを得ない。歴史の真実について研究者たちが学問的手法で積み上げてきた事実を無視し、記憶を隠蔽化し、「戦争犯罪を記憶し、再発防止が重要なのに、殊に曖昧化、忘却させる」(高橋哲哉「記憶の義務も大切」『東京新聞』1月21日付)という指摘は重要である。
 16年末に安倍首相と稲田朋美防衛相は、米国のオバマ前大統領とハワイの真珠湾を訪問し、アリゾナ記念館で献花後、スピーチで「憎悪を消し去り」、「友情と信頼」を育てた日米は、寛容と和解の力を世界に訴え続けていくと主張した。
 しかし、多くの良識ある人びとが批判するように、台湾・朝鮮の植民地支配(強制占領)、中国はじめ東南アジア、太平洋地域の犠牲になった人びとを思い起こすことはしない。大国米国への「従属」の一方、戦争犯罪・戦後責任への認識はないと言ってよい。
 東アジアの本当の平和と安定、協調を願うなら、まず被害各国・各地域の人びとへの公的責任の履行が何より大切であると考える。心ある日本市民たちの間にはまずアジアへの謝罪をと、憂慮の声も強い。
 「女性の活躍」と呼号しつつも、育児や家事・介護などを私的な分野に収め、公的責任をも免れようとしている。富裕層・支配エリートたちによるブルジョア政府そのものが安倍内閣である。