2017.03.14
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辺野古・人びとの想いつなぐ |
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2月16日〜21日、半年ぶりに沖縄を訪ねた。辺野古・高江・伊江島・普天間?「抗う沖縄の現場」を3回に分けて報告する。
東京と那覇の時差は1時間はあるだろうか。5時半、夜陰の中を那覇を出発、辺野古をめざす。昇る朝日を正面に受けながら7時前には、ゲート前へ。
2`bほど手前の県道沿いに抗議行動参加者用に駐車場が整備され、そこからは連絡カーがゲート前まで運んでくれる。
金曜日のため、水・木・土の集中行動日に比べると人数は少ない。全体で30人程だろうか。メインゲートと弾薬庫側第2ゲートでは、出入りの米軍車両へ抗議が始まる。座り込みの中心となる工事用ゲートは、通常、機動隊の車両によって封鎖されているため、私たちはその前に座り込むことになる。
この日、担当の統一連・瀬長和男さんの司会で集会が始まる。ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表が現状を報告。瀬長さんはじめ県内の皆さんからは「集中行動日以外の参加者を増やしたい」と、県外からの参加者への気遣いも含んだ発言が続く。「本土」からの私たちからすれば、常時受け入れてくれる現場の存在自体が、何ものにも代えがたいものなのだ。
いま、辺野古を全国に可視化してきた力は、まちがいなく一人、二人からの交流を受け入れ、心ある人びとの想いをつないできた辺野古20年の現場の力なのだ。
もちろん、人数も無条件に必要だ。現在、陸上では生コンプラント建設、工事用道路設置などのための資材搬入が行われている。そのためのダンプ等工事用車両は、9時過ぎ、昼過ぎ、夕方の3回、車列をつくって工事用ゲートを出入りする。座り込む私たちは、その都度、機動隊により排除されることになるのだが、座り込む人数が多ければ、それだけ工事車両による搬入を阻止、遅らせることができる。
この日9時過ぎの座り込み排除は、残念ながら20分ほどだったろうか。体勢を立て直しての集会と交流は途中、歌声・体操・三線・カチャーシーを交えながら夕方まで続いた。
私は3日間、ゲート前座り込みに参加したが、運動団体から個人まで、そして地域を越えて発言の機会は分け隔てなく配慮される、まさに「不思議な空間」(山城博治さん)なのだ。初めて辺野古に来た、という人たちの多かったことも印象に残っている。
北海道から沖縄マラソンに参加した青年、埼玉で有機農業を営む若手カップル、北大で政治学を学ぶ院生、岩手でドキュメンタリー映画を製作してきた双子兄弟は初めて沖縄を撮るのだという。そしてノルウェーの映像作家等々。瀬嵩で「海と風の宿」を営む成田正雄さんも、友人と車椅子で定位置に陣取る。
大浦湾では、オレンジのフロートが張り巡らされた中で、大型船ポセイドンによる掘削調査、汚濁防止幕設置とコンクリートブロック海中投下が続く。17日には、抗議船10隻とカヌー22艇による海上デモ(写真)
が行われ、呼応して瀬嵩の浜では300人が抗議の声を上げた。 私は、抗議船「スナフキン2」に乗船させてもらった。船長の西平伸さんは、自らもダイバーとして15年間、大浦湾の調査や記録に携わってきた。自宅を博物館にしていると聞いて訪ねた。やんばるの森からいくつもの川が流れ込む、独特の生態系が維持される大浦湾。5000種を超える生き物が確認され、新種の甲殻類には西平さんの名から取ったものもある。
辺野古新基地阻止の闘いは、大浦湾の自然と生態系を守る長年の活動にも支えられている。船上では無口だった西平さんの熱を帯びた語りと笑顔が印象的だった。
毛利孝雄(沖縄大学地域研究所特別研究員) |
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