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 2017.03.21
抗う沖縄の現場を行く〈中〉
高江・続く基地のある日常との闘い


 2月17日、辺野古ゲート前を昼に離れ、高江に向かった。通い慣れた道だが、辺野古からは車で1時間以上の道のりだ。
 昨年8月の高江は、毎日数十台のダンプによる資材搬入を阻止するために、高江橋周辺を中心に座り込む市民と、それを排除するために全国から動員された機動隊とがぶつかり合う、喧噪の現場だった。今も不当な勾留が続いている山城博治さんは、10月17日、北部訓練場内で有刺鉄線1本を切ったとして準現行犯逮捕されている。
 政府はN1・G・H地区、計4カ所のヘリ(オスプレイ)パッドが完成したとして、昨年末には北部訓練場の部分返還式典を強行した。しかし、工期短縮による手抜き工事のやり直し、新たに提供された宇嘉川河口水域からの上陸歩行訓練進入路整備などで、工事完了は8月頃とされる。
 N1ゲート前と通称裏テントでは、住民の会と支援者による監視行動が現在も継続されている。この半年の間に、万年を単位とする歳月で形成されたやんばるの森は、工事用道路によって切り裂かれ、3万本におよぶ樹が切り倒された。
 この日、私はある悔いを抱えながら高江へと向かっていた。本紙1月17日付沖縄記事のなかで、「沖縄の闘いの焦点は、高江から再び辺野古に移り、長期の総力戦に向かう」という趣旨のことを書いた。
 運動圏のなかでは、それほど違和感なく受け取られたかもしれないが、それは高江に生活する人たちがこれから直面する現実を見落とした記述にまちがいなかった。
 辺野古新基地ができれば、オスプレイ100機の運用が予定され、高江の新設ヘリパッドはその訓練のためのものである。継続する、しかも格段に強化された基地のある日常との闘い。そう気づかされたのは、安次嶺雪音さんの座談会での発言(季刊『けーし風』2017年1月)だった。
 「私は正直、いま本当に切羽詰まっていて、…高江に居続けて、オスプレイが上を飛んでもたたかい続けるというのは、子どもたちのことを思うと無理だなと思っている。…もし、自分が違うところに住んでいたら、高江でこういうことが起きているからといって、自分が本当に行くだろうかって思う。…現場にいることで希望もあって、本当に絶望と希望の間で、もっと希望が大きくなってほしいと思います。子どもたちにはそうあってほしい」。
 誰よりも高江の人と自然を愛してきた彼女たちを、ここまで追い込んだものは何なのか。
 到着したN1ゲートで私たちを迎えたのは、整列した20人ほどの民間警備員たち。ゲートの中では数人の沖縄防衛局職員が外の動きを監視している。住民の会の監視テントは、道路の向かい側に再建されて、当番の宮城勝己さんが支援者に応対されていた。
 裏テントも半年前のままに維持されている。「裏の湧水にシリケンイモリがたくさんいますよ。見ていきますか」。誘われるままに、バナナやシークワーサーの畑、自生する天然記念物のランなど付近の植生を案内してもらった。その間にも、戦闘用ヘリ1機が頭上を何度か旋回していった。
 普天間ゲートの早朝行動で知り合った松葉孝雄さんに電話を入れる。近くの友人とすでに宴会中のところに、しばし合流させてもらった。大阪からUターンで高江に戻り有機農業をめざすGさんの別れ際の言葉。 「住民はみんなヘリパッド反対。うまく表現できないけど、抗議の人たちのなかには、住民が生活していることへの配慮のない人もいる。そこは考えてほしい」 私もそのなかの一人だったかもしれない。
 毛利孝雄(沖縄大学地域研究所特別研究員)