2017.03.28
|
|
伊江島・普天間―反戦・反基地の原点 |
|
山の形が変わった伊江島
友人たちに宛て、今回の沖縄行程を「辺野古・高江・普天間+私用」とメールした。大畑豊さんから「私用の中に伊江島は入っていますか?」と即座の返信。大畑さんは昨春から伊江島反戦資料館(ヌチドゥタカラの家)のスタッフを務めている。
2月19日、本部港から伊江港行フェリーに乗り込む。休日のためか家族連れ米兵の姿が目立つ。伊江島を象徴するタッチュー(城山)が段々と近づく。沖縄戦では艦砲射撃によって山の形が変わったという。住民3人に1人が亡くなり、随所で「集団自決」が起きた。
戦後は、米軍の銃剣とブルドーザーによる土地強制接収に、阿波根昌鴻さんを中心に非暴力直接行動で闘った。その精神は、米占領下の島ぐるみ闘争に、現在の辺野古・高江の闘いに引き継がれている。
この日、ヌチドゥタカラの家では、15年前から始まった阿波根さんの資料調査会が、まとめの作業に追われていた。鳥山淳沖縄国際大学教授を中心に、全国から研究者学生がボランティアで集う。
復帰後、日本政府は伊江島から阿波根さんの影響を排除するため、生活インフラから教育施設まで、ほとんどに防衛関連予算をつぎ込んできた。
訪れた島を一望できる城山展望施設も、「沖縄米軍基地所在市町村活性化特別事業」(通称・島田懇事業)により建設されたことが、碑文に刻まれている。
阿波根さんの闘いを聞く
いま辺野古・高江とともに米軍再編の焦点となっているのが、島の西側3分の1を占める伊江島補助飛行場。すでにオスプレイ離発着のための改修は完成し、現在、強襲揚陸艦の甲板を模した着陸帯「LHDデッキ」の改修工事が進む。海兵隊のF35次期戦闘機と、空軍横田基地へ今年配備予定のCV22オスプレイが収容できる駐機場も整備される。 完成すれば、辺野古新基地・北部訓練場・伊江島補助飛行場は一体の運用が可能となり、飛躍的な機能強化が図られる。大畑さんのガイドで島内を回った。
☆ ヌチドゥタカラの家館長の謝花悦子さんが、「昨夜思いめぐらせたことを、ぜひ聞いてほしい」と車椅子を寄せる(写真)。
「阿波根が平和を願い集めてきた資料。多くの人の手で残すことができることになった。平和は一人ではつくれない。沖縄戦で犠牲になった人は、声を出せない。あきらめるしかない。安倍政権は、沖縄戦の誤りを沖縄戦以上の規模で繰り返そうとしている。いまを生きる大人たちが、未来の子どもたちに何を残せるか。戦争準備を絶対に許してはならない。怒りを燃やさないといけない」。
翌20日は、那覇地方裁判所前での山城博治さん即時釈放を求める激励行動へ。ボードには「自由を奪われし我が友よ。めげるな。嘆くな。正義は必ず勝つ」の文字。私も短くマイクを取らせてもらった。
午後からは、一坪反戦地主が所有する普天間飛行場内の土地強制使用を巡る県収用委員会の公開審理に参加。インフォームド・パブリック・プロジェクトの河村雅美代表は、「すでに返還が予定された土地。土地の状態を知りたいという所有者の要望に応えるべきだ」として、米軍が持つ基地汚染資料の提供を求めた。
地主で平和市民連絡会の真喜志好一さんは、滑走路延長線上に利用禁止のクリアゾーンを設けるよう定めた米軍の安全基準を挙げ、「受け入れ国が求めれば適用される。危険性除去には即時閉鎖しかない。米国と協議もせず強制収容は許されない」と訴えた。「軍用地を生活と生産の場に!」それは、一坪反戦地主たちの原点をなす主張だ。
この日の夜、桜坂の民芸酒場「おもろ」に新垣則武さんを訪ねた。メニューはない。すべて店主にお任せ。カウンターの柱には、常連の方の句会での入選作が色紙で掲げられていた。
夏至の土灼ける九条守るべし 阿峰
毛利孝雄=沖縄大学地域研究所特別研究員 |
|
|
|