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 2017.04.18
反憲法的集団と国家の癒着
憲法の重み(下)


   非常事態を口実にして疑獄をうやむやにする

                 山口県立大学教授井竿富雄 
 
 似た日韓の保守言論


 しかし、日本の一部報道は悪意に満ちていた。「国民情緒法」なる不思議な単語(筆者はこの単語がいつどこで案出されたのか知らない)が必ず持ち出され、韓国では法を無視して政治が動く、という非難が多かった。
 3月12日の『読売新聞』社説は「司法の行き過ぎた政治決定」というタイトルをつけ、「北朝鮮の軍事的脅威が深刻化する中での驚くべき事態」、「憲法裁が、大統領罷免を求める国民の声に阿って権力を行使したとすれば、行き過ぎだろう」と書いた。『産経新聞』の同日コラムに至っては「世論の約八割が弾劾を支持し、法より情≠フ圧力が国の左右を決める。異質な怪物が威張る隣国を、民主国家と呼ぶことに違和感を覚える」と憎悪にも近い反応を示した。
 香港の雨傘運動や台湾のひまわり運動には、そんな筆の振るい方はしなかったはずだ。これは、中国に敵対的な運動とみなされて許容されているのであろう。『産経新聞』は、死刑制度の維持に関しては「国民感覚(国民感情と読みかえてもさほど違和感はない)」を持ちだして擁護した(3月16日社説)。日本の国民感情はある方向にだけ噴出が許されている。そして、法は悪法でも遵守されなければならない。「市民的不服従」は許されないのだ。
 日本にとって朴政権は、歴史問題で「日韓合意」を作ってくれ、李明博政権の反「太陽政策」を貫徹させた、「親日的」な政府だった。前記『読売新聞』社説が日韓合意を「貴重な外交成果」と告白したことが何よりの証拠である。そして、今の韓国社会の変革への勢いが、保守政権からの政権交代(日本では「左派政権樹立」と言われる)を招くことだけが気がかりなのである。
 実はこれらの言動は、韓国の保守系紙と全く軌を一にしている。大統領弾劾運動を「左翼の煽動」、THAA D配備に反対する韓国市民に「中国に言え」と揶揄するなどは大変よく似ている。日韓の保守言論は極めて似たことを書いていることを知らない人も多いはずだ。


 「共謀罪」を閣議決定


 筆者がこの二つの事態に注目したのは、両国において「憲法」のもつ重さである。ここでいう「憲法」とは、単に法律の条文ではない。法律が体現する諸価値にもある。近年はやりの言葉で言えば「価値観」だろうか。 韓国の憲法裁判所は「憲法の擁護者として不適切」として大統領を罷免した。それは、トランプ大統領に対して「合衆国憲法」を突きつけて抵抗するアメリカ国民がいることと重なる。それぞれの憲法が体現する価値観に筆者が同意しているかどうかは措く。しかし、憲法の価値観を現実にしようとする人々がいるのは事実なのだ。
 日本の、「森友ゲート」とも言うべき今日の事態に対して、報道はなぜか混迷し、かの私立学校を叩き潰すことで事態をなかったことにしようとしている。
 しかし、問題の本質は、憲法の掲げる諸価値に公然と敵対する理念を掲げた団体に学校設置を許可し、国有地をただ同然で払い下げたという、反憲法的な集団と国家運営者の癒着の有無にこそある。
 すでに、「国家の存立よりも、一私立学校の在り方や理事長の特異なキャラクターの方が大切で喫緊の課題であるかのように振る舞う国会議員たちに、国民の負託を受けた立法府の一員としての矜持(きょうじ)は感じられない」( 3 月20日『産経新聞』の署名記事)と、野党の攻勢を矮小化して追及を打ち切る呼びかけを始めている言論人すらある。折しも、朝鮮民主主義人民共和国の、米韓合同軍事演習への対抗措置的なミサイル問題が出てきた。なぜかこういう時に彼の国をめぐる軍事情勢が報じられる(だが、アメリカCBSテレビの社長一行が3月14日に平壌を訪問したことはあまり知られていない)。非常事態を口実にして疑獄をうやむやにする、その上憲法を事実上突破する手段構築に絶好の機会を提供してしまっている。
 「テロ対策」を建前とした「共謀罪」の法案閣議決定も、この間に決まっていた。人権侵害の疑いすらあるという法案、結局審議中に「見解の相違だから、何を言っても同じこと」と野党の批判を無視して強行採決しそうな気がする。この国において、政治での憲法の重さは、あまりにも軽くなってしまった。