2017.05.02
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体制の批判で投獄、死へ |
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治安維持法で命を奪われた宋夢奎と尹東柱の生誕100年
東京学芸大学教授 李 修 京
国家権力の独走
政府は去る3月21日に曖昧な概念や基準で、テロ準備段階で処罰できる277項目の犯罪を対象にした組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律♂正案(組織的な犯罪の共謀罪)を閣議決定した。 この共謀罪≠ヘ組織犯罪を企んでいる2人以上の動きを計画段階で早期発見し、処罰できるようにするというが、この共謀罪が成立すると誰もが犯罪者になり得る可能性が広がるため、懸念せざるを得ない。極端な話だが、国家権力側の暴走に我慢できず、不満や批判を露わにした場合、煙ったい反対意見を除去するために簡単に狙い撃ち≠ェできる。
未然防止≠ニいう 美辞麗句を唱えるが、犯罪の実行を伴わなくても、それが犯罪の下見行為だと一方的に解釈されたら処罰対象になりかねない仕組みである。この不気味な法案を聞いた時、近現代史をやってきた筆者の脳裏には実に様々なでっちあげの事例がよぎった。
不気味な制度
周知の通り近代国家は絶対権力を有し、その権力体制を護持するためのあらゆる社会機能を利用してきた。
そのために、政権内で不都合なことが生じた場合、内外に架空の敵を設けて言論や流言飛語などを用いて不安な社会を助長したり、体制の思惑を探ったり批判する者には武力的弾圧を行い、時には様々な罪名で死に追い込むことも多々あった。
近代日本では1923年の関東大震災の際に朝鮮人、中国人および労働運動家への大虐殺があり、1925年の治安維持法以後、なぜ他国を侵略し、戦争を起こすのか≠問い質した多くの思想家・労働運動家が逮捕や拷問を受けた。
日本人ばかりではない。日本の植民地統治支配時代、満州の北間島(現在の中国吉林省龍井市)で生まれ、より広い知見を得るために京都に留学した若者2人が、異国の地で自国の言葉で話したのを理由に、治安維持法違反だとでっちあげられた挙句、福岡刑務所で謎の獄死となった。筆者は小学校から口遊んだ序詩≠フ詩人・尹東柱(ユンドンジュ)と彼の従兄・宋夢奎(ソンモンギュ)の死を日本で知るようになり、院生時代から小林多喜二や鶴彬、槇村浩らの死と絡んで研究してきた。人権が蹂躙され、生きることさえ許されなかったこの若者たちは暗黒の時代の犠牲者であったが、国家暴力のない平和社会へ導く燈火とすべく中国や韓国、イギリス、アメリカなどで発表し続けてきた。
今年はこの宋夢奎と尹東柱の生誕100年にあたる。そして、皮肉にも彼らを死に追いやった治安維持法の形を変えたかのような共謀罪が日本の国会で復活しようとする。
権力のでっち上げ
宋夢奎(1917年9月28日〜1945年3月7日)の母親が尹東柱(1917年12月30日〜1945年2月16日)の父親の妹であった。朝鮮語の教師であった宋の父親の学校が尹家近くの明洞学校であったため、宋家は尹家でしばらく暮らし、その時に宋と尹が同じ家で生まれる。双子のように育った2人は、同じ小学校に通い、同じ延禧専門学校(現・延世大学の前身)に進学後、日本の留学先の京都で逮捕され、1945年の2月に尹が、3月に宋が福岡刑務所で獄死をした。
宋は早くから文学や社会意識に目覚め、小5の時に尹とともに文芸紙『新しい明洞』を作り、1934年にソウルの『東亜日報』新春文芸にコント《匙》で登壇し、1938年に『朝鮮日報』に《夜》を発表する傍ら、尹と一緒に留学していた延禧専門学校同人誌『文友』の編集を担うなど、文才を発揮する。
だが、民族意識が強く、中学在籍中に独立運動に加わって逮捕され、京都留学中の1943年7月に留学生の集いで母語で祖国や民族の行方について語ったことが治安維持法違反となり、「在京都朝鮮人学生民族主義グループ事件策動」の嫌疑で逮捕された。
尹も宋との文芸活動の傍ら、《新しい道》(1941年6月『文友』掲載)などの詩作を続けた。そして、より高度な文学勉強のために親の反対を押し切って日本に留学する。1942年4月に立教大に入学するが、強まる国家神道に耐えられず、途中で退学し、同年10月に同志社大学文学部に移った。しかし、翌年の宋との会合を理由に逮捕され、留学の夢も、帰郷の夢も果たせないまま、宋と同じ27歳の生涯となった。死後に尹の詩作をまとめた遺稿集『空と風と星と詩』が発行され、今や尹は《抵抗の詩人》として日本でも愛されている。
グローバリズムのなか、多文化共生社会政策が展開される今の日本では当たり前の留学生の会話だが、時代が怪しくなってくるとマイノリティが常に政権の犠牲になりやすい構図はさほど変わらない。その犠牲は私に限ってありえない≠ナはないのを認識する必要がある。
なぜなら、国民は国家のために存在する≠ニ認識違いをしている人たちが法案を作り出しているからである。
だが、宋と尹が眠る中国の丘で筆者は誓ったのである。決して卑劣な権力のでっち上げを許してはならないと。それが我々の進むべき道であり、未来の不幸を防ぐ術である。 |
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