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 2018.4.10

『立憲的改憲論』その批判的検討 [上]
個別的自衛権認めても9条と「全文」でしばり
弁護士 内田 雅敏

 「日本国憲法は解釈の幅があるから解釈改憲を生む。安倍首相に『憲法学者の7割が自衛隊違憲論だから9条改憲』などと言わせないために改憲すべきだ」との「立憲的改憲論」がマスコミや政治の場で賑わっている。内田雅敏弁護士に寄稿して頂いた

1 国家当然の法理
 
 自衛権について憲法に明文規定はない。国は、「国家当然の法理」―個人に正当防衛の権利があるように、国家にも違法な侵害に対して防衛する権利がある―によって、自衛権が認められるとしてきた。
 例えば、砂川事件最高裁大法廷判決は「わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」と述べる。
 この見解の当否は今措くとして、仮に、「国家当然の法理」として、戦争の放棄、戦力の不保持を謳った憲法第9条下において、どのような場合に、またどのような内容で自衛権を行使できるかということが当然論じられなければならない。
 国家当然の法理は、正当防衛の法理を前提としているものであるから、その発動の要件としては、わが国自体に対する攻撃がなされた場合に限る。また、その行使し得る自衛権も「正当防衛」の範囲内でなくてはならない。
 かくして、わが国が行使し得る自衛権は、①我が国に対する急迫不正の侵害があり、②これをはねのけるには実力行使以外他に適当な手段がない、③その場合でも攻撃をはねのけるための必要最小限度実力行使に限る、という三つの要件を満たした上での個別的自衛権であって、自国に対する攻撃を前提としない集団的自衛権の行使は憲法上許されないとされてきた。
 歴代政権が堅持してきた専守防衛の安全保障政策である。

2 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする決意
 砂川事件大法廷判決は「われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである」と述べ、専守防衛の個別的自衛権の根拠を憲法前文に求める。
 また同判決は、判決理由冒頭において、「そもそも憲法第9条は、わが国が、敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が、過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こすことがないようにすることを決意し、深く恒久の平和を願って制定したものであって、前文及び第98条2項の国際協調の精神と相まってわが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である」と述べる。
 これはアジアで2000万人以上、日本で310万人の死者をもたらした先の戦争の「敗北を抱きしめて」、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」(憲法前文)、戦後の再出発をしたことを述べたものである。
 憲法9条、戦争の放棄、戦力の不保持は、侵略戦争に対する深い反省から出発しているのであり、仮にわが国に憲法上、専守防衛の個別的自衛権の行使が認められるとしても、行使し得る場合、行使する内容については、常に前記憲法前文「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という縛りが掛けられていることに留意すべきである。