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 2018.4.17

『立憲的改憲論』その批判的検討 [下]
幸福追求権保障の13条
弁護士 内田 雅敏

乱用すれば歯止めなし
13条に自衛権の根拠を求める見解の危うさ 
 昨今、この個別的自衛権行使の根拠を、憲法第13条幸福追求の権利に求める見解がみられるようになった。この見解は危うい。
 このような見解が何時頃から登場してきたか、定かではないが、国家の警察権の根拠を13条に求める見解の延長上に出てきたものであるようだ。しかし、警察比例の原則(注)によって規制され、相手の「制圧」を目的とする警察と相手の殲滅を目的とする軍隊は異なる。憲法上集団的自衛権を行使しえないとした1972年政府見解も、個別的自衛権の根拠の一つに憲法13条を掲げている。
 13条の国民の幸福追求権は、それ自体としては誰も反対できない「使い勝手のよい条文」(元内閣法制局長官)だからこそ、これが乱用されると歯止めがなくなる。13条がかつての「満蒙は日本の生命線」と同様な使い方がされるようになる。 「人々は、大正末期、最も拡大された自由を享受する日々を過ごしていたが、その情勢は、わずか数年にして国家の意図するままに一変し、信教の自由はもちろん、思想の自由、言論、出版の自由もことごとく制限、禁圧されて、有名無実となったのみか、生命、身体の自由をも奪われたのである。『今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる』との警句を身をもって体験したのは、最近のことである。情勢の急変には10年を要しなかった」(1997年4月2日、愛媛県靖国神社玉串料訴訟最高裁大法廷判決における尾崎行信裁判官補足意見)。
 国家が、言論、思想の自由どころか、個人の生命、身体の自由さえも奪ってしまった戦争という惨めな時代を再来させないために、戦争の放棄、戦力の不保持を宣言した憲法9条を設け、国家に個人の尊重、幸福追求の権利を保障させるために13条の幸福追求の権利を憲法典に書き込んだというのが歴史的な経緯である。  「戦争で得たものは憲法だけだ」というのが、敗戦直前、米軍の本土上陸に「備え」、15、6歳の子どもに潜水服を着せ、竹竿の先に爆雷を吊るしたものを持たせて海底に潜ませ、米軍の上陸用舟艇を突かせる「伏龍」隊に駆り出された体験を有する作家の城山三郎氏の生前の述懐であった。
 集団的自衛権行使容認の閣議決定の際にも「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」と13条の文言が使われた。
自衛権と一体の日米安保によって踏みつぶされる沖縄県民の13条 
そして安保法制、沖縄辺野古における米軍新基地建設の強行、自衛隊と一体となった日米安保によって沖縄県民の生命、自由、幸福追求の権利が奪われている。   13条が自衛権の根拠たりえないことは米軍基地の重圧に喘ぐ沖縄県民の苦しみに思いを馳せれば容易にわかる。ヤマトの13条が沖縄県民の13条を破壊していることに気付くべきである。

(編集部注)警察比例の原則とは、警察権の発動に際し、目的達成のためにいくつかの手段が考えられる場合にも、対象(国民)にとって最も穏和で、侵害的でない手段を選択しなければならないという原則。