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 2020.01.28
平和が文化になった国 コスタリカ
『永世中立宣言』が平和を守った
ロベルト・サモラ弁護士講演

 
アメリカのレーガン大統領の時代、コスタリカではモンヘ大統領だった。この時、モンヘ大統領は永世中立を宣言するが、世界は冷戦だった時に、ラテンアメリカは非常に熱戦の状態だった。

 そうした中で永世中立宣言したことは、歴史的に非常に重要なことだった。つまり、戦争に参加しないということは、敵を作らないということであり、国の安全保障は敵を持たないということにあるということだ。

 そしてまた、このような安全保障政策は“値段も安い”ということだ。友達になるにはただでなれるが、敵を作るとお金がかかるし、戦争をするにもお金がかかる。

 隣国のニカラグアは、戦争状態だった(コントラ戦争=1979年から89年、サンディニスタ革命政権の政府軍とアメリカが組織した反革命傭兵軍コントラが戦った内戦)。

 そのエピソードについて話したい。コスタリカは1983年に永世中立宣言した。この時、中米は熱い戦争のさなかだったが、その間、私たちが武力紛争から距離を置いていたということから、国内の経済発展はラテンアメリカが落ちているにもかかわらず、成長することができた。

 このような状況は2003年まで続いた。良かったことだとは思うが、2003年、アメリカはイギリスと一緒になって不法な戦争を始めた(イラク戦争)。その時のコスタリカはパチェコ大統領だった。彼は頭がおかしかったのか、米英の連盟に自分たちも加わってイラク戦争に参加すると言った。

 コスタリカ国民の83%が永世中立を支持し、さらに99・2%の国民がパチェコ大統領の決定に反対、拒絶した。

 こうした状況の中に私もいて、最高憲法裁判所に訴えた。その時に使ったのはコスタリカの平和憲法で、イラク戦争反対の訴えを行った。私はこの裁判に勝利した。

 つまり、パチェコ大統領のイラク戦争参戦の立場は、憲法違反であり、永世中立宣言に反している。なおかつ国連憲章、すなわち国際法違反であるという判決だ。 この勝利は歴史の結果でもある。コスタリカは平和に対する長い歴史、すなわち平和に対する権利がずっと生きてきたという歴史的な結果でもある。

 しかし、この時に残念だったことは、「平和というのは一つの価値である」と言ったが、「権利である」と言わなかったことが私には残念なことだった。

イラク戦争 
 国が主体となり英、豪などが加わった有志連合が大量破壊兵器を保持しているとして2003年3月20日、イラクに侵攻したことで始まった戦争。第二次湾岸戦争とも言われる。