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  4. 2020.11.03

「空襲で地獄を見た 戦争繰返さないで」

 安保法制違憲訴訟神奈川の第12回口頭弁論・証人尋間が約一年ぶりに10月15日、横浜地裁で開かれ、病気を理由に証人尋間を裁判所から拒み続けられた横浜大空襲の体験者・藤原律子さん(88歳)の本人尋間と福田護弁護士の意見陳述が行われた。

 藤原さんは弁護士の質問に答える形で切々と「安保法制が廃止になるまで死にきれない」とその理由を横浜大空襲での壮絶な体験を語った。

 藤原さんは戦時中、横浜銀行に動員され、伝票整理やお茶くみに忙しく働いていたが、横浜大空襲の日は月2回の登校日で、空襲警報で下校となったが、家にたどり着いたのは翌日の夕刻だった。

 帰宅途中、友人の2歳年上の男子の膝から下を焼夷弾が直撃、膝から下が吹き飛び、もんどりうって転げたが、藤原さんはその場を走り去ることしか出来なかったという。

 その事がその後の藤原さんを苦しめた、走り去った後も家に着くまでに見た凄惨な光景、人間と言うよりまるで柱の様な焼死体、累々と続くその光景に家にたどり着いた途端に気絶したという。

 藤原さんは時に涙声で「死ぬなら母の元でと思った」「この事を人に話すことは長い間なかった」。やっと話せるようになったのは40歳頃、東京大空襲のスライドを見て「横浜と同じだと思った。皆さんにもっと知ってもらわなければいけないと思った」が、焼夷弾が直撃した男子のことは話せなかった。

 話すにはそれから更に10年の歳月がかかったという。

 「憲法九条は戦争を二度とおこしてはならないと沢山の犠牲の上に成立した。拠り所としてきたのに集団的自衛権の行使、また、戦争になってしまうのではないかと思って反対の運動してきた、憲法違反だ」「戦争のできる国になったら元に戻ってゆく。私のような体験をさせてはいけない」と述べた。

 また、被害者の側面だけでなく、加害者としての側面も忘れてはならないとも語り、裁判官に「少しでも分かっていただけたら」と締めくくった。

 その後、弁護団から「国側は従来の憲法解釈を変えたという事は認めているが、自分たちはどう考えているかを主張すべき」と国側を批判、事実の主張でないとする国に対して「認否すらしないのはおかしい」「せめて事実を主張すべきではないか」と追及した。

 これに対して国側は従来通り、保護される被害ではない、権利ではないと繰り返しただけだった。

 岡田尚弁護士は報告集会で国側の姿勢について、「裁判所が勝たせてくれると思っている。反論したら負けるから土俵に上がらないのでは」と話した。

 最後に福田弁護士が意見陳述を行い、コロナ禍の下での国際的対立関係が深刻化し新安保法制が現実味を増していることを例示した上で、全国の同種の裁判で「戦争にならなければ国民に身の危険はない」という趣旨の判決が出ていることを批判し、国際的・軍事的事実関係を具体的に検証する手続きと認定・判断を回避するために採られた、極めて安直かつ不誠実な判決との非難を免れないと7つの判決を批判し、横浜地裁での公正な判決を強く訴えた。

 次回は来年2月4日14時開廷、横浜地裁101号法延。