「最高裁国を断罪」「勝訴」の2枚の垂れ幕が10月9日午後3時過ぎ、東京・隼町の最高裁裏門に掲げられると、大きな拍手が起き、「バンザイ」の声とともに「勝利したぞ」の声が響き渡った。
大阪・泉南アスベスト国賠訴訟で最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は、「アスベスト(石綿)による健康被害の医学的知見が確定した1958年時点で規制すべきだった。規制権限を行使しなかった国の対応は違法」とする判決を言い渡した。
5人の裁判官全員一致の意見でアスベストによる健康被害を巡って最高裁が国の責任を認めた初めての判決だが、違法を認めたのは71年までの13年間。それ以降については認めず、その後も不十分な対策のために広がり続けた被害については目をつむっており、不当な内容だ。
泉南アスベスト訴訟は、大阪南部の泉南地域のアスベスト工場の元労働者やその遺族89人が規制の遅れで肺がんなどになったとして国に賠償を求めた裁判で、2006年の1陣(原告34人)と09年の2陣(55人)に分かれて提訴した。1審の大阪地裁ではいずれも勝訴したが、2審の大阪高裁は1陣判決で国の責任を否定して原告敗訴、2陣は勝訴と判断が分かれた。
最高裁判決は、原告89人のうち82人については国に救済を命じた。2陣の控訴審判決で「58年から95年」としていた国の責任期間を71年までと狭め、就労時期が遅かった1人を除く54人に合計約3億3200万円の支払いを命じた。
「規制を厳しくすれば、産業社会の発展を大きく阻害する」などして人間の命より企業の利益を優先する判断を示した1陣の2審判決は破棄し、就労時期が遅かった6人を除く28人を勝訴とし、賠償額を算出するため大阪高裁に差し戻した。
国の責任割合について、2陣の控訴審判決で示された「2分の1」を維持した。
泉南地域では、100年にわたって石綿原料から糸や布を作る石綿紡織工場が集中立地し、戦前は軍需を、戦後は経済成長を下支えした。ところが、その陰で石綿工場のみならず家族や地域ぐるみで深刻なアスベスト被害が発生した。国は調査によって70年以上も前から被害を知悉しながら経済優先で人間の命と健康をないがしろにしてきた。 泉南アスベストはわが国アスベスト被害の原点であり、今回の最高裁判決が全国6カ所の建設アスベスト訴訟、尼崎クボタ訴訟など国の責任を追及する裁判に大きな影響を与える。また、現在もなおアスベストを使用しているアジアの国々への影響など国際的にも注目されている。
最高裁判決を受けて原告・弁護団は9日夕、塩崎恭久厚生労働相に対して、@深刻な被害を発生・拡大させ、救済を長引かせたことに対する真摯な謝罪、A最高裁判決を基準にした、政治決断による速やかな1陣、2陣の一括解決、B原告以外の泉南地域の被害者の救済、残存アスベストの除去などに向けた協議を行うための協議の場の設置、の3点を申し入れた。また、与野党の国会議員も一括解決を求めたが、厚労省側は差戻し審があることなどを理由に原告団との話し合いに応じなかった。
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