中岡 基明(全労協事務局長)
結果として暴走を許した
安倍政権に対する対抗軸をしっかり作っていかなければならない。現状は「対抗軸を喪失」している。「総がかり行動」は戦争反対・護憲の取組みを大きく高揚させてきたが、安倍政権の暴走を結果として許してしまった。
総がかり行動が「底辺に追いやられ苦しむ人々」の問題を充分とらえ、闘えていなかったのではないか、という議論もされている。
労働者・市民の貧困問題など、それぞれの運動との乖離がなかったのか。国会に集まった市民層は、余裕のある人々の運動に終わっていたのではないか。
貧困層労働者・市民の不参加をどう見るのか、ということだが、日々の生活に追われ、生きることに精一杯の労働者こそが経済的徴兵制≠フ当事者でもある。彼ら、彼女らの参加をどう得るのか大きな課題である。参加を勝ち取るのか、との問題も、現在、国を挙げての婚活と言われるが「婚活の有望な対象は自衛隊員」と地方ではいわれているという。
センターを失った労働運動
政党の現状だが、民進党は無定型な最大野党になっている。保守なのか、革新なのかわからない。社民・自由など護憲派の凋落は著しく絶滅危惧種と揶揄される。維新、公明はカジノ法案の対応にみられるように「安倍にどう寄り添うのか」と競い合いになっている。政党そのものが不信感を増幅してきた。
労働運動では、最大の労働組合「連合」が、30年前の発足時の国際自由労連加盟を条件とした「反共」の踏み絵を復活させ、共産党との共闘は拒否するように民進党に迫っている。新潟知事選や衆議院補選への対応は統一性を欠き、春闘などでは産別自決を進めており、ナショナルセンターとしての統一対応は“瓦解”している。総がかり行動や市民連合などが求めて続けている、安倍政権打倒のための野党共闘のブレーキ役になっている。政党と労働組合、労働運動は労働者市民の大衆闘争のセンターとしての役割をなくしたままである。
こうした状況の中で総がかり運動の「まとめ役」としての「平和フォーラム」「平和運動センター」への政府からの攻撃も注視しなければならない。沖縄闘争への弾圧、山城博治さんなどの逮捕、長期拘留はその一環であろう。
各戦線の連携が取れない
私たちが直面している課題や闘いには最賃闘争・公契約条例制定運動、過労死家族会の運動、シングルマザーの運動、奨学金問題、反貧困ネット運動等々があり、また、安倍政権が社会福祉政策を後退、切り捨てる中で生活保護や子育て、高齢者介護問題などの改善を求めて様々な闘いがある。それぞれの闘いは十分に連携がとれておらず、分散化傾向になっているのではないか。
労働運動の大きな課題である労働法制改悪に対する取組みでは労働弁護団に頑張っていただいているが、日弁連貧困対策委員会、非正規全国会議などとの連携は十分とはいえない状況にある。労働組合の共闘関係も安倍政権の雇用政策を課題として雇用共同アクション(全労連、全労協、MIC、
全国港湾、コミュニティ・ユニオン首都圏ネットなどが参加)の運動があるが、労働組合全体の闘いにまでは至っていない。コミュニティ・ユニオン全国ネット、連合非正規センター等々、それぞれの運動になっているのではないか。
求められる総がかり運動
安倍政治とは「個人より家族」「個人・家族より国益」「労働者より企業」「地方より大都市」が優先するという、人としての基本的権利を制約し、剥奪する民主主義、立憲主義を否定する政治である。
安倍政権への対抗軸のキーワードは、基本的人権、(生存権の復権)、ディーセントワーク、平和・幸福追求権を一人ひとりがもつ権利として明示し、闘いの方向を安倍政権に対抗する社会運動
(連帯運動)を作り出さなければならないと考えている。
かつてポーランドでワレサ氏が「連帯」を作り、それを広げて国内を統一したが、貧困・格差・差別の運動を連帯と共同闘争でつなぎ、安倍政権打倒を掲げる生存権と働き方に係わる運動の統一戦線を追求するときではないか。いわば「貧困・格差・差別を許さない総がかり行動」を起こすときではないかと思う。
年内には必ず解散総選挙が行われると言われている。国会における野党共闘を要求し、院外の大きな大衆的闘いと結びつけていく必要がある。戦争法廃止! 総がかり行動と貧困格差・差別反対総がかり行動を結合した闘いが求められているのではないか。反戦・平和、護憲運動と社会運動の合流を実現したい。社会運動版「オリーブの木」ともいえるかもしれない。組織性格はルーズな協議体・運動体でよいと思う。行動運動参加の自由を保障、不参加の自由を保障する。具体的で大衆的な闘いを常に提起して闘いを作り出していくことが重要と思う。
その中核は、労働組合が担うべしと決意しなければならない。
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