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2018.03.20
アスベスト被害者を全て救済せよ
認定基準の改悪を追及
 不支給処分取消訴訟を支援 
 アスベスト被害者の元国労組合員・故武井豊さんの遺族保障給付不支給処分取消訴訟(横浜地裁)は1月30日、原告の遺族が敗訴した。国鉄・JR職場で広がるアスベスト被曝被害者の訴訟が各地で行われているが、他人事でなく、国の責任を明らかにするためにも、国鉄横浜退職者組合も控訴審を支援することを決めた。その背景を明らかにする。
 肺に石綿があればアスベスト被害者だ 
 2018年1月30日10時30分より、横浜地方裁判所で、『故竹井豊氏の遺族補償給付不支給処分の取消請求』訴訟の判決が言い渡され、敗訴となった。その家族と弁護士、支援団体との話し合いがもたれて、高裁に控訴することが決まったと連絡を受けた。判決が言い渡された当日と、高裁に控訴すると確認した時に、担当弁護士から、敗訴の背景を分析した資料が関係者に配布された。国鉄横浜退職者組合は、2月16日の機関紙編集委員会でこの資料を配布し、一定の意見交換をし、高裁の裁判闘争を支援することを確認した。弁護士が配布した資料を表にし、認定基準の変化と「故竹井さんの曝露歴」を比較してみると、石綿被害の認定の訴訟の時点と、時を同じくして変更が行われて来たことが明らかである。 
 竹井さんは、1958(昭和33)年3月30日に生まれ、1976(昭和51)年4月から2012(平成24)年12月14日までの亡くなるまで、旧国鉄とJR東日本鉄道会社で勤務した。入社の1976(昭和50)年4月から1985(昭和60)年6月9日までの約8年10カ月は、旧国鉄大井工場で白石綿含有の合成制輪子(電車のブレーキの部分)の削正作業に従事した。同年6月9日から、1988(昭和63)年12月1日までの約3年6カ月は、JR東日本の川崎火力発電所に勤務し、建屋内に積もった石綿粉塵に曝露した。2011(平成23)年8月17日、石綿健診で異常陰影ありとなり、同月26日にJR東京総合病院で受診し、肺がんの転移あり闘病したが、2012(平成24)年12月14日に亡くなった。
 この裁判は、生前の竹井さんの遺言であり、所属していた国労神奈川地区本部と国労横浜電力技術センターが、神奈川労災職業病センター・横須賀じん肺被災者の会等々と連携をとりながら進めてきた闘いだ。
 患者を切り捨てた2012年の認定基準変更 
 左記の表を参考にして頂きたい。1の項ですが、竹井さんの石綿の曝露歴は、大井工場と川崎火力発電所の職場勤務の履歴から、曝露歴10年以上という部分は、2006年の認定基準を満たしているので、石綿肺がんが認定されて問題ないはずだが、2012年の認定基準変更で、3項の新設された部分で、認定が認められなかった。 さらに、新設された3項の本省協議となっている、石綿小体が5000本未満で1000本以上という部分が裁判の争点となった。
 2012年の認定基準、石綿肺がん患者の切り捨てをもたらすものであり、この認定基準を改めない限り多くの石綿肺がん患者の救済は見込めない。今回の敗訴した判決が確定すると、この認定基準を改める道が断たれてしまう。
 環境曝露で一般からも石綿繊維は見つかっている
 国鉄横浜退職者組合の会議では、裁判を支援していくことはもとより、改悪する前の認定基準では、10年以上の石綿曝露+石綿小体(何本とか数は示されていない)認定されていたので、書き直す必要はないと思われるが、環境曝露等で一般の人からも、石綿小体や石綿繊維が見つかっているので、石綿にまったく汚染されていない人はほとんどいないと言ってもよく、このことは抑えておいたほうが良いと思われる。
 また、「発病についても、政府が使用許可を出しているし、海外でも被害状況が報告されていたのに、政府は問題ないと暫らく製造や使用を認めていたのだから、責任があるし、責任を取らせるしかない」となった。  石綿は身近なところでは、昔々ですが、魚焼きの網についていた白いモノ、寒い冬のお布団の暖を取るために使われていた豆炭アンカの綿状のものが使われていた。住宅では、防火材・延焼防止等々の目的で台所とお風呂場の焚口の周りにも使われている。近年こそ使用しなくなったが、人が多く集まる公共の施設でも使われている。JRの社宅でも使われているし、学校でも、給食をつくる場には使われていることが明らかになっている。意外と身近なところで使われていることを改めて確認したところである。(齋藤照明

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