アスベストによる健康被害
アスベスト粉塵(じん)が吸い込まれ、肺の中に入るとさらに身体の中に移動し病気を引き起こします。代表的な病気は、石綿肺、肺がん、中皮腫です。
石綿肺はアスベスト粉塵を大量に吸ったときに起きるじん肺の一種で、肺の組織の酸素を取り入れる抹消の部分が「線維化」し、固くなって機能しなくなり呼吸機能が下がっていく病気です。最初の曝露から10年以上して発症します。
肺がんは少量のアスベスト粉塵の吸引でも発症します。初回の曝露から20年から30年後に発症します。中皮腫は悪性腫瘍の一種で、胸膜・腹膜等にできることが多い。初回の曝露から10年から40年後に発症します。治療は困難で発症後2年間の生存率は30%以下と言われています。
被害を大きくした国の対応
被害の予見は戦前の軍関係であったのですが、労働省は1955年から局所排気装置の研究に入り、1971年、局所排気装置の設置などを指導するよう求め、アスベストが人体に有害性のある化学物質であることを明確にしました。
それ以前に広く知られたのは、1970年11月17日の『朝日新聞』の記事です。その後国会でも取り上げられました。しかし、防塵マスクの着用の義務付けまでも至らず、大気への飛散や製品の使用禁止までは至っていませんでした。
有害性を認識しながら十分な対策を回避した国と企業の責任は重く、ここまで多くの被害者を出さずに防げたのでは、とその責任が問われています。
全国に広げる
今私たちは、アスベスト被害者の支援活動をクボタをきっかけに大きく全国に拡げています。「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」、そして全国労働安全センター連絡会は国に対して、アスベスト被害の防止策、被害者の掘り起こし、治療薬の促進、補償の拡大、企業名の公表などを要求し交渉するなど患者・被害者と共に歩んでいます。
アスベストが99%原因であるとされる中皮腫による死者数は1995年に500人、05年に911人、2015年に1504人と10年ごとに500人ずつ増えています。
その一方で労災認定は05年度500人・06年度が1001人、08年度559人、15年度539人とほぼ横ばいとなっています。そして、死者数は増加を続けています。
私たちの活動は被害者の掘り起こし、労災認定への取り組み、企業・国の責任を明らかにし、生活保障・遺族補償を求めて患者と遺族の支援を行うことです。このアスベストは幅広く使用され、アスベスト被害の認識がまだまだ低いため、被害者は名乗ることはできません。
私たちはホームページやマスコミを利用して宣伝活動をし、年4回くらい相談会をマスコミに流してやっていますが、まだまだ被害者の目につくところまで届いていません。
30年から40年前働いていたときの状況を思い出してもらい話を聞くのですが、その会社がすでに無くなっていたり、同僚も亡くなっていたり、会社が存在していても積極的に対応をしてくれません。できるだけの裏付けを取るのに時間をかけていますが、結果を待たずに亡くなる人が後を絶ちません。
中皮腫の人で早い人だと発病から3週間で亡くなった人もいます。ですから時間との競争の場合もあります。
労災認定の取り組みも国の基準に達しない裏付けだと、1年半もかかった例もあります。被害者は職種も幅広く同じ例はなかなかありません。また高齢の人たちが多く自宅に何回も訪問し、聞き取りをしたり手続きを行っています。
現在は泉南アスベスト被害を受け、国賠の支援を弁護団と一緒に取り組んでいます。泉南アスベストの最高裁判決を受け、裁判の提訴をすすめ、条件に合致すれば救済することになり、マスコミにも発表され国から該当者にその通知を送っています。通知を受け取っても相談に来られるのは3分の1くらいです。
国が安全義務を果たさなかったことの原因で多くの被害者が発生し、その原因も知らずに多くの人が亡くなっていったこと。またその工場周辺の人たちも何も知らずに亡くなっていった人たちが、まだ多く潜んでいます。
しかし、国と企業はアスベスト被害が出ることを認知しながら儲けのため企業の発展のため多くの労働者・市民を犠牲にしたこと、そして何より人の命を軽視したことは許されません。
これからもこの種のことは、資本主義が続く限り発生すると思います。しかしその被害を最小限に留めながら、そのことを起こさせない運動が大切です。そのためもっと運動を拡げていきます。
【泉南アスベスト訴訟】
2006年5月26日、日本のアスベスト被害の原点である泉南地域から、国の責任を問う訴訟が提起された。2010年、大阪地裁は、1次訴訟について、わが国で初めてアスベスト被害について国の責任を認める判決を下したが、2011年、大阪高裁は、国の責任を否定し、原告の全面敗訴。そして、7カ月後の2012年この1次訴訟・大阪高裁の不当判決を乗り越えて、2次訴訟は、大阪地裁で再び勝訴。そして2013年、大阪高裁も、国の責任を認めた。そして2014年10月9日、最高裁判決は、国の責任を明確に認めた、原告勝訴の画期的なものだった。
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