2017.11.14
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声を上げる市民の会が集会 |
教育めぐる闘いを考える |
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「日の丸・君が代」強制に反対! 壊憲NO! 戦争NO! 生命輝く社会へ! 11・4集会が11月4日、「良心・表現の自由を!」声を上げる市民の会が主催して東京都内で開かれた。
集会では埼玉大学名誉教授の森川輝紀さんの講演「ナショナリズムと教育―教育勅語への道」と、この間「日の丸・君が代」強制に闘ってきた渡辺厚子さんの報告、練馬全労協、北部共闘、被処分者の会から連帯の挨拶で充実した内容になった。
森川さんは、教育勅語の成り立ちについて次のように語った。
教育勅語が1890年に明治天皇から下賜されるまでに、漢学者の元田永孚と官僚の井上毅との教学論、教育論争があり、井上が起草した。
井上は、近代国家の教育のために、天皇大権の前提でも勅語の中身は問題であることから御名御璽という形の勅語にした経過があるとした。そして森有礼文相の暗殺にも、勅語の忠孝思想優先の中身を浸透させる背景があった。
そして、2002年の大泉特別支援学校で入学式に着用していた手書きブラウスの処分に始まり、今日なお、「日の丸・君が代」第4次訴訟を東京高裁で闘う渡辺厚子さんが、その意味について次のように報告した。
裁判をすることの意味は、1人でも元凶の権力者を対等の場に引きずり出すには裁判しかないということ。そして裁判闘争を、法廷内に狭めるのではなく、世論に訴えることで、教育現場を変えるのは可能と考える。
「日の丸・君が代」の闘いは、個人が国家にどのように向き合うか、国家シンボルヘの敬愛行為を自ら選ぶのかという問題と思う。
立憲主義破壊、国家主義教育化との闘い、武力派兵をする軍事国家への道との闘いとして、今現在、一層重要な闘いになっている。
特別支援学校での私の役割は、顕在化しない障がい児学校の強制の実態を明らかにすることだ。国家は差別構造を作ると同時に、末端で強制により人権侵害を受けている障がい児の声なき声を、自らの加害の立場を自覚して、広げようと思う。
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