トップ週刊新社会教育2018.09.11
2018.09.11
子どもにあった学び方の成長支援
登校拒否・不登校を考える (上)
多い長期休み明け自殺 〜苦しかったら逃げてもいい〜
国の不登校政策の転換を採択

学校にこだわらず
 9月1日が過ぎた、1年間でもっとも18歳以下の子どもの自殺が多い日が近づいている。

 内閣府が毎年の青少年自殺を日付別で集計を出すが、夏休み明け、春休み明け、5月連休明けなど、長期休み明け自殺が日本では多いことがデータでも分かるようになった。

 学校が楽しい子は、学校が始まるからといって自死しない。いじめ、その他学校が苦しい子にとって休みがあってほっとしていたのに、学校が始まるのはとても怖いし、辛くてたまらない。

 でも学校は行かねばならない。楽になるにはすべてを消すしかなくなる、そんななかで起きている現象なのである。

 最近では、やっとこの問題に目がいくようになり、マスコミでも「学校が苦しかったら逃げてもいい」「学校以外にもフリースクールなどの育つ道もあるよ」と報道するようになった。

 この現象の背景には、長い間の学校信仰という学校絶対の社会通念や国の不登校政策も存在している。

 国が不登校数を調査し始めて50年経つが、その大部分の施策は「学校復帰が前提」であった。学校に行きにくい、行きたくない子どもにとって学校へ戻されようとする対応は、辛く、孤独で、追い詰められた子も少なくないといえる。

 私たちは30年ほど前から親の会やフリースクール活動で学校に戻す流れに抗して、学校にこだわらず、その子にあった学び方で成長支援していくことを実践し、主張してきた。

 2、3年前から国は、学校以外も認めて支援していく方向で検討を始めた。「教育機会確保法」ができてから、はっきりと施策が変化してきている。

 文科省の2016年の全国通知では、「不登校は問題行動ではない」「不登校児童生徒が悪い、という根強い偏見は払拭し」と述べられ、その考え方に基づいて、この4月から試行されている「改訂学習指導要領」にも記述されている。

 教育機会確保法の基本指針には、「登校という結果のみを目標にするのでなく個々の不登校児童生徒の状況に応じた必要な支援」とある。

 7月11日に開催されたフリースクール議連で、文科省は「学校復帰を前提に」と書かれている旧文書の文言を齟齬(そご)があるために見直しする、と発表した。

 実際、教育機会確保法の成立後の影響は大きく、ほとんどなかった取り組みがいろいろ行われるようになった。とりわけ、公民連携で不登校への成長支援をやっていこうと地域の連絡協議会ができたり、適応教室の運営をフリースクールが委託されたりしている。教員の研修にフリースクールスタッフが講師に呼ばれたりしている。

 市民の側が積極的に文科省の児童生徒課長に依頼、国の不登校施策について各地に出向いての講演会を開催している。疑心暗鬼だった保護者や教員が、「本当に変わってきたんですね」というのが筆者にとってはおもしろい。夏の全国大会開催 フリースクール現場には、小中学生の保護者の見学が増えている。すぐ入会するというよりも、「情報として知っておきたい」という人も多いようだ。いずれにしろ、「学校へ行かせるしかないね」というよりも、よほどいい傾向である。

 こんな空気の中、「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会?金沢」が8月4日、5日にかけて金沢大学で開催された。

 1990年に「登校拒否を考える全国ネットワーク」が結成されて以来、毎年1回開いてきている。今夏は29回目にあたり、初の北陸開催、延べ720人が参加して盛り上がった。 不登校に関心のある人々が全国から集まり、講演やシンポジウム、分科会、懇親会などを通して出会い、交流し、学び合ってきた。

 大人のつながりあいだけでなく、子どもたちが参加する「全国子ども勾留合宿」も同時開催されたが、それは2001年誕生した「フリースクール全国ネットワーク」が担っている。

 今回の目玉は、プロ棋士の羽生善治さんの記念講演「好きなことを大事にして」だった。また、教育機会確保法の立役者である馳浩衆議院議員は金沢出身で、法律作りの話をされた。さらに、当事者の体験をナマで聞けるシンポジウムも大好評だった。 不登校をなおす発想でなく、本人の在り方を受け止める考えを大事にして取り組んできた大会は好評のうちに終わった。

 最後に、国の不登校政策の転換についてアピールを採択した。もう学校復帰が前提ではないことに対する歓迎と、周知を徹底する必要性がうたわれた内容であった。 

(NPO法人登校拒否不登校を考える 全国ネットワーク代表理事 奥地圭子)