明けの子どもたち
3月、4月、5月と日本中の学校が事実上の休校措置をとらざるを得なかった。新型コロナウイルス感染拡大防止のためである。私は休校は必要だったと思っている。
しかし、一度に3カ月休校とわかっていたわけではなく、コロナ感染の状況をみながらであった。意外とそれがよかったかもしれない。外出自粛、ステイホームが次第に受け入れられ、マスク、手洗い、消毒や買い物にしても、ソーシャルディスタンスを意識する生活に人びとがなじんでいくことができたからである。
私たちは、フリースクールや不登校特例校で不登校の子どもたちとつきあってきたが、長期休みになるのに、何ら問題はなく、子どもも親も落ち着いていた。
ある不登校の家庭では、娘はバイト休み、父は休職中、母は仕事が全キャンセルとなったが、何年も家で育っているので休校に関しては「通常営業」という感じで、学校が休みだと子どもも親も楽なのだなぁと感じた。
しかし、ふだん登校している子どもの親から「こんなに休んで学力は大丈夫なのか」「ゲームばかりやっていていいのか」「夜昼逆転で生活リズムが崩れていいのか」と悩んでいる相談はかなりあった。また、それをただそうとして子どもと険悪な仲になり、悩んでいるという相談もあった。
登校開始期の子ども
6月1日から少しずつだが通学、通勤が始まった。長く不登校にかかわってきた私たちは、夏休み明けの9月1日に子供の自殺が増えるように、3カ月という未曽有の長さの休み明け自殺が心配だった。そのために5月28日、オンラインで全国ネットから注意喚起の発信をした。
だが残念なことに、東京では八王子の高校1年生の男子生徒が拳銃自殺した。この少年は、中学3年生から不登校で、やっと高校に入ったところでコロナ休校となった。
6月1日から学校が始まる時期が近づくにつれ体調は悪化、病院へ。もともとこのような体調悪化は「学校行けないよ、休みたいよ」の無言のサインなのだが、医者も親も「通院しながら登校する」という方針で、学校も登校してほしいのだが、学校が苦しい彼にとっては楽になるには命を絶つことしかなかったと思われる。
学校の始まりで社会全体が動いている時の「学校へ行くべき」というプレッシャーにおののいている不登校の子は少なくない。とりわけ、父も出勤、兄弟も登校しはじめた家庭内では、きつい気持ちを抱えている子もかなりいることを知ってほしい。
コロナ渦の子供ども
全世界的に引き起こされたコロナ渦の影響は大きく、歴史の分かれ道となるだろう。社会は大きく変わらざるを得ない。
子ども、若者の学びや成長をどう考えるかもその一つだ。これまでの近代大量生産型社会に必要とされて存在した、一カ所に多数を集めていっせいに教授する「学校」というシステムは、まさに三密の象徴で、ウィズコロナ時代にはふさわしくない。
ステイホームの間、オンラインでの学習や集い、遊びを各学校が行うようになったが、不登校の子どもでそれがよかった子どもは多い。個別性が高く、教員との親和性もあり、集団に入った緊張感が少ないからである。
ただし、ナマに人びとが出会い共に何かをする、あるいは他者を知ることも大事だ。オンラインとオフライン、体験で学ぶ、家庭中心など多様な形で学び育つ道を保障していく社会になってほしい。そのうち不登校の「不」が消えてくれることを願っている。
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